五條市  その2

 音無川(吉野川)「芝崎の奇岩」

 五條市を二分するように東から西へ流れる吉野川は「音無川」とも呼ばれています。その訳は、昔、弘法大師の空海が読書をしていたら、吉野川のせせらぎが余りにも喧しいので、「願わくば、音を消したまえ」と云って、流れに石を投げ込んで呪法を唱えたら、せせらぎの音がぴたりとやんで、川は音を発てずに流れました。それからは「吉野川」でも栄山寺付近を特に「音無川」と呼ぶ様になり、栄山寺のちょっと上流は「水辺の公園」で、辺り一帯は景勝地でもあり、秋の紅葉が美しい所です。また、奈良県五條市の西隣は、和歌山県橋本市で、奈良県から流れ出た「吉野川」は和歌山県に入ると「紀ノ川」と名前を変えています。
 金剛寺(TEL 0747-23-2185)

 「栄山寺」から吉野川に沿って下流へ行き、栄山寺橋を渡ってバス停「牧ノ口」の交差点で右(西)へ曲がり、バス停「野原土取」の直ぐ先、野原公民館の斜め前に高野山真言宗、小松山「金剛寺」があります。号は福寿院で、西国薬師49か寺の第9番霊場です。1173年(承安3年)平重盛の創建と伝えられ、茅葺の庫裡は1691年(元禄4年)再建で、代々奈良唐招提寺の長老の隠居部屋で、ここで多くの弟子達の育成が行われました。また、本堂の裏の庭園に牡丹が1500株も植えられ、4月下旬〜5月上旬に開花して賑わいますが、「金剛寺」は四季の花が彩る清楚な古寺です。なお、牡丹の季節は拝観料300円です。
 金剛寺の「観音堂」

 白壇の古木が植わった境内奧に「観音堂」があり、江戸時代の金剛寺は神仏習合による野原町の宮寺で、本地仏を十一面観音、その垂迹(すいじゃく)に天満宮(菅原道真)、同じく本地仏を准胝観音(じゅんちかんのん)、その垂迹に御霊宮(井上内親王とその子の他戸親王)を祀っていましたが、明治3年の神仏分離により、両観音菩薩を当地へ御移座して祀り、この間、1773年(安永2年)旧野原の村民が農耕生活を豊かにするために現在の野原町の牧山にある「樋の口池」を新堀することになり、その成功を観音菩薩へ祈願され、完成の喜びを記念して「観音堂」が建立されました。なお、現在の建物は明治10年再建です。




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