御所市、「巨勢の道」  その7
 沙羅(しゃら)の寺「安楽寺(あんらくじ)」

 「寶国寺」から南へ行き、直ぐ左へ曲がり、「桜田池公園」の南側を通って東へ向かい、国道309号線のバス停「稲宿」を過ぎた辺りで右(南)へ入ると、高野山真言宗葛城山「安楽寺」があります。元は法相宗のお寺で、1696年(元禄9年)撰の「葛城寺縁起」によると、「稲屋村阿弥陀山葛城寺(亦名、妙安寺)貞心院は聖徳太子の創建で後に葛木臣(かつらきノおみ)に賜うた」とあり、太子四十六院の随一で、八大伽藍の1つとして栄えたが、1590年代(文禄年中)寺産を奪われて以来、堂宇年々荒廃し、住僧減じ、今は「本堂」と国重文の「塔婆」が残るのみで、境内に沙羅(しゃら、夏椿)の木が植わっています。
 国重文「安楽寺塔婆」

 「安楽寺」の前から奧の「御霊神社」の方へ行き、直ぐ右横の小道(畦道)を進み、公民館の横を抜けたら、左へ曲がって山の方へ上がると、「安楽寺塔婆」が建っています。元は三重塔でしたが、1670年代(延宝年間)九輪が墜落して、上の2層が崩れ、初層のみが残り、その上に宝形(ほうけい)屋根をのせたものです。縁(ふち)と飛檐(ひえん)を失っているが、その他はほぼ原形をとどめ、三手先斗共(さんてせんときょう)をもった本格的な塔婆建築で、古風な手法が残り、内部は四天柱内いっぱいに仏壇を置いた痕跡があるけど、今は奧に仏壇を仮設して、室町時代の作と推定される「大日如来像」を安置しています。
 国史跡「巨勢寺(こせじ)跡」の「大日堂」

 「安楽寺の塔婆」からまた国道309号線へ出て、右(東)へ進むのが「巨勢の道」で、JR和歌山線の踏切を渡って、近鉄吉野線「葛(くず)駅」の手前を右に折れて南へ向かい、バス停「古瀬」の手前でまた右に曲がって曽我川(巨勢川)を渡り、西へ真っ直ぐ行って、突き当たった所で細い草むらの道を登ると、JR和歌山線と近鉄吉野線に夾まれて「巨勢寺跡」があります。聖徳太子の創建で、「日本書紀」に巨勢寺の名が見られ、当時の寺院としては、かなり大規模で塔の礎石もあり、その後、平安時代に奈良興福寺の末寺で、1308年(延慶元年)所有財産を春日大社に寄進し、その頃から荒廃の一途をたどったようです。


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