生駒山周辺と信貴山まで  その21
 平群氏春日神社

 宮の前後に古墳のある「平群氏春日神社」の拝殿に平群氏八十二代正嫡を名乗る大阪市在住の子孫、椿井一見氏(故人)の奉納額「春日神社沿革記」が掲げられています。それによると、平群氏の祖は天大吉備諸進尊(あまノおおきびもろすみノみこと)で、子孫の提原王が武内宿弥の養子になり、第12代景行天皇の勅命によって平群の姓を賜ったそうです。そして後、大和官領職越前懐泰が768年(神護景雲2年)正月9日河内枚岡より三笠山へ臨幸する春日大明神に供奉して、初代の興福寺官務宗徒になつた後、960年頃(天徳年代)伊橡律師懐休が「椿井寺」「春日社」を創建し、それが「平群氏春日神社」の始まりだとか。
 平等寺春日神社

 「平群氏春日神社」から更に東へ行く道は、「近畿自然歩道」で、次もまた「春日神社」ですが、平群町平等寺の集落にあるので「平等寺春日神社」と称し、平等寺、下垣内(しもがいと)の氏神です。祭神は、天児屋根命。本殿は春日造、極彩色の檜皮葺、瓦葺の覆屋で保護されています。なお、拝殿内に掲げられた文久元年(1861年)の絵馬は、昔は大和の各所で行われ、今は途絶えた「なもで踊り」を描いており、「なもで」とは、南無御礼が転じたもので、雨乞いや順気(じゅんき)祈願満願の日に神前に奉納した踊りのことです。また、境内に多くの石灯籠が奉納されており、最も古いのは延宝5年(1677年)のです。
 平群町三里(みさと)の「船山神社」

 「平等寺春日神社」から又「近畿自然歩道」を北へ行くと、現在は無住のこじんまりとした「東光寺」があって、その東北、矢田丘陵の山裾に「船山神社」が鎮座しています。祭神は、船山神と天児屋根命、住吉大明神です。なお、境内後方の矢田丘陵八合目付近に丸木船状の3つの巨石があり、神がそれに乗って地上に下って来た船石として信仰されていましたが、この3つの巨石については、「神祇(しんぎ)資料」にも載っており、近世に船石の付近に祀られていた「船上(ふながみ、船神)神社」も山麓のここ「船山神社」に合祀され、昔の磐座信仰を伝える古社です。また、拝殿横には立派な陽石が旧社地から移されています。




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