磐余(いわれ)の道と多武峯街道  その3

 国史跡「艸(からと、くさ)墓古墳」

 「阿部文殊院」から東へ約300mほど行き、阿部丘陵を登り切って東へ下ると、北側に平行して東西に通る坂道に面した住宅の裏(北)側にこんもりとした森があり、二階建て住宅のブロック塀に沿って細道を入ると「艸墓古墳」で、北西面と東南面がやや長く、長辺約27m、短辺約21m截頭長方錐形で、方墳の高さ約7m、墳頂部は平坦をなし、南東に開口する両袖の横穴式石室で、玄室は巨石を一段に積み、奧壁は1つ、両側の壁は2つで、天井は2つの石で築かれ、石と石の間に漆喰を詰め、玄室の長さ4.44m、幅2.71m、高さ2mで、t道は長さ8.72m、玄門部の幅1.9m、高さ1.5m、玄室に石棺あり。
 県史跡「谷首(谷汲)古墳」

 「艸墓古墳」から東へ下りて、右(南)へ曲がり、「磐余の道」を南へちょっと行って、大きな道へ出る手前の細い道を右(西)へ曲がって行くと、こんもりした森が右(北)側にあり、道路に面したコンクリの階段を10段ばかり上がると、直ぐ目の前、丘陵の南斜面に「谷首古墳」が口を開けています。墳丘各辺は方位とほぼ一致し、東西約35m、南北約38mで、高さ約8.2m、墳頂部に「八幡神社」の本殿と拝殿が建っていますが、墳丘西側は古墳築造当初の形状を保ち、両袖式の横穴式石室は、東側の袖が非常に短く片袖式とも云われ、花崗岩の巨石で築かれ広いけど、t道が少し狭いので中が暗く、懐中電灯が必要です。
 国指定史跡「安倍寺跡」

 「谷首古墳」から西へ行くとバス停「生田」の直ぐ北西が「安倍寺史跡公園」で、草がぼうぼうと生えた「仲麻呂屋敷」と呼ばれる一辺15mの方形の土壇があり、昭和41年と43年の調査で出土した瓦等から昔は崇敬寺とも呼ばれた「安倍寺」の塔跡で、また、東方にある土壇は、金堂の跡と推定され、北方にある土壇は、まだ未調査ですが、たぶん講堂の跡だろうと推定され、おそらく、安倍寺も法隆寺式伽藍配置で、第36代孝徳天皇勅願あるいは安倍倉橋麻呂の創建と伝えられています。なお、現在「安倍の文殊」として知られる「文殊院」は、この遺跡から東北300mの所にあり、ここから南へ行くと、「磐余の道」です。




奈良観光表紙に戻る  桜井近辺の図を開く  前のページに戻る   次のページに進む