磐余(いわれ)の道と多武峯街道  その11

 西口・念誦崛(ねずき)の「不動尊」

 「談山神社の西大門跡」から西へちょっと行くと、道が二股になっていますが、右へ折れて、車の通れる道を1キロほど行くと、右に「念誦崛不動尊コノ下」と彫られた石柱が建っていて、そこから草深い崖下の山道を草を分けながら200mばかり下りて行くと、苔むした谷間に「念誦崛不動尊」が祀られています。像の左に「延文三年(1358年)戊戌正月宣快」と陰刻された銘があり、この不動さんはある人の夢枕に立って「土に埋まっている自分を掘り起こして呉たら首から上の病を治してやろう」と云われたので、ある人が、お不動さんの云われた所を掘って、土から掘り出すと、頭の痛かったある人の病が治ったそうです。
 気都和既(きつわき)神社

 「談山神社の西大門跡」から西へちょっと行って、二股道を左へ曲がり、車の通れない道を4キロばかり下ると、明日香村の「石舞台」へ至りますが、途中で既に明日香村に入った道の左側に「気都和既神社」が建っています。境内を「もうこの森」と呼び、その名のおこりは、645年大化改新で中臣鎌足(後の藤原鎌足)が飛鳥板蓋宮で暗殺した蘇我入鹿の首に追われて、ここまで逃げ込み「もう来ないだろう」と言ったことに由来します。なお、境内には鎌足が腰をかけた石も残っており、「気都和既神社」には、気津別命と明日香村の尾曽・細川両大字の神社にそれぞれ祭られていた天津兒屋根命を合祀した三座を祀っています。
 蓮華寺(れんげじ、TEL 0744-54-2566)

 「気都和既神社」から更に約1.2キロばかり西へ下ると、明日香村細川の集落で、北側の高台に本堂の大きな屋根が見えて、浄土宗鎮西派・紫雲山・入安院「蓮華寺」があります。と云うよりも「石舞台」から約800m登って来た所です。境内に鎌倉時代中期の「十四重石塔」が建っていますが、創建その他詳細ははっきり判りません。本尊は、阿弥陀如来木立像で、他に観世音・大勢至の菩薩木立像、善導大師塑坐像、圓光大師塑坐像、地蔵菩薩塑立像、弘法大師塑坐像、釈迦誕生仏唐銅立像などがあり、毎月1日法然上人のお言葉をテキストにした法話「朝参り会」と、年6回「正しい仏法を聞く会」を御住職がなさっています。
 飛鳥の「立石」

 「蓮華寺」から更に西へ下ると、明日香村上居で、道が二股に分かれ、冬野川(ふゆのがわ)を渡って左へ行くと、明日香村稲渕(いなぶち)から栢森(かやのもり)」、右へ行くと「石舞台」まで約300mの所。そのちょっと手前で道路の右側、山際を上がると大きな石が立ち、道路からも見え、そのものすばり、花崗岩の「立石」です。高さ1.9m、幅1.7m、奥行きは下が厚く1m、上が30cmほどあり、飛鳥東域の結界石と言う説もありますけど、定かではありません。なお、この様な「立石」は、ここ上居だけでなく、大字岡、豊浦、小原、立部などにも残っていますが、それにしても飛鳥には謎の石が沢山あります。




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