「香芝市」から 「王寺町」辺り  その14

 岩才池(いわんざいけ)古墳

 「達磨禅寺」から少し南へ行ってから、左(東)へ折れて、JR和歌山線を越し、葛下(かつげ)川を渡り、北へ辿るとバス通りに面した西和警察署の東隣が女子短大で、その構内に「岩才池古墳」があります。馬見丘陵北端に位置する古墳で、直径約5mの円墳と考えられ、小型の無袖式横穴式石室を持ち、南に開口する石室は全長3.2m、奥壁幅0.77m、羨道幅0.74m。入口付近に小石を、奥には比較的大きい石を用いて羨道と玄室を区別している様です。なお、盗掘され天井石が全て抜き取られていますが、鉄釘、須恵器短頚壺、土師器坏が出土して、6世紀後半から7世紀前半にかけて築造の古墳と考えられています。
 舟戸(ふなと)神社(西安寺跡)

 西和警察署の西側を北へ行き、近鉄田原本線の下を通って、舟戸の住宅街を東へ抜けると「新池」の南に「舟戸神社」が鎮座しています。大和川と葛下川に夾まれた地帯にあるこの神社の神は、衝立(ついたて)船戸神とも呼ばれ、伊弉諾(いざなぎ)神が投げ捨てた杖から化生した神で、物を衝立の様にして、外から入れない様にした所に祀られ、久那戸(くなど)神と云い、なお、他に春日神を祀るので「春日神社」とも云われていた様です。本殿は、春日造の一間社で、拝殿に明治時代の絵馬が多数掲げられています。また、「舟戸神社」は、聖徳太子建立の46カ寺の1つ「西安寺」の跡で、付近から礎石、瓦が出土しています。
 王寺町舟戸児童公園の「D51」

 「舟戸神社」の北の「新池」から西へ行くと、JR大和路線と和歌山線、および近鉄田原本線が交差した所に国道25号線の陸橋があり、陸橋を降りた東側に「王寺町舟戸児童公園」があって、蒸気機関車D51−895号機が保存されています。終戦前昭和19年5月10日「日立製作所」で製造、高さ3.98m、幅2.936m、長さ19.5m、重量125tで、奈良運転所機関区に配属され、旧国鉄の関西本線や、草津線を走り、昭和47年11月7日廃車になるまで1633969km(地球約40周)走行しました。なお、D51は、動輪軸が4軸なのでアルファベットの「D」を付けられ、主に貨物列車を牽引しました。
 久度神社(TEL 0745-72-3553)

 JR及び近鉄の「王寺駅」から北へ出て、西へ向うと、大和川南岸に「久度(くど)神社」が鎮座しています。783年(延暦2年)官社に列せられ、従五位下を賜った事が続日本紀(しょくにほんぎ)にあり、794年(延暦13年)平安遷都で、当社から京都市北区の「平野神社」第二座に久度神が遷され、927年(延長5年)の延喜式神名帳に載っている古社で、竈(かまど)の神の久度大神を祀り、他に八幡(寿命・幸福の神)、住吉(水運・交通の神)、春日(子孫繁栄の神)も祀り、約1200年の間、氏神として時により多少の興廃があったが、昭和17年橿原神宮の古殿をもって拝殿、瑞垣、中門などを造営しました。



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