葛城山および葛城古道  その13

 「風の森」辺りから「金剛山」を見る

 「高鴨神社」の鳥居をくぐって南へ真っ直ぐ出て、葛城川の源流の小さな深谷川を渡り、少し行ってから左(東)へ曲がると、国道24号線の「風の森」バス停へ向かいますが、途中道の左手に、平成4年発掘された古墳時代の道路、鴨神(かもがみ)遺跡が在り、道路幅2.7m、下にバラスを敷き詰めた所や暗渠を通した跡が出て来ましたが、同時に出土した土器から5世紀前半〜6世紀に存在した道と云われています。また、この辺りは1863年(文久3年)8月25日土佐の吉村寅太郎の率いる天誅組第2隊の志士が高取城を攻めるため、「風の森峠」で剣着して陣を布き、翌日負けて、また、この辺りを通って敗走しました。
 御所市大字鴨神の「風の森神社」

 国道24号線へ出るまでの所に、旧高野街道沿いで最も高い所に「風の森峠(標高273m)」が在り、それより少し北の小さな森の中の頂上に祀られている小さな社が「風の森神社」です。御祭神は、風の神の志那都比古神(しなつひこノかみ、級長津彦命)で、古事記によると、伊耶那岐命(いざなぎノみこと)と伊耶那美命(いざなみノみこと)が、兵庫県淡路島の沖に浮かぶ淤能碁呂嶋(おのごろしま)で目合(まぐわい)をして、淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、本州、児島、小豆島などの「国を生み」、更に水分神ら17柱も産み、次の34番目に産んだ神で、風の森峠を吹く強風を鎮めるために祀られています。
 峯山百体観音

 国道24号線バス停「風の森」の南、次のバス停が「東佐味」で、そこから少し東へ行くと「弥勒寺」があり、脇を通って更に南へ行くと「峯山百体観音」があります。弥勒寺縁起によると、霊場が出来たのは、1808年(文化5年)となっていますが、そもそも衆生救済のために三十三の化身を現し、法を説く観音信仰は、平安時代全国的に広まり、観音の三十三身と女性の厄年の三十三歳が一体になって、三十三ケ所の霊場を巡礼する風習が始まり、ここでは西国、秩父、阪東の3霊場の観音が祀られ、一山を巡れば居ながらにして、各霊場を参拝したのと同じご利益があって、厄年の女性の参拝の聖地として今日に至っています。
 県の天然記念物「大川の神杉」

 御所市を南北に貫く国道24号線に平行して、西に葛城山の麓を南北に走る「県道30御所香芝線」が南側で尽きた所から「京奈和自動車道」が南へ伸びているが、そこから五條市の方へ向かうと、御所市西佐味(にしさび)で、東に広く開けた段々畑の段差の所に「大川の神杉」が植わっています。樹高約30m、幹周り7.3m、推定樹齢700年で、大川杉の周囲に今は竹が繁つているけど、ここは東へ200m下った所にある「常福寺」の墓地の外れで、昔ここに井戸があり、井戸杉として植えられた木が成長し、根元からこんこんと湧き出した水は、灌漑用水として近くの田畑を潤し、神通寺川から「葛城川」へ注いでいます。




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