金魚と百万石の城下町「大和郡山」  その7

 実相寺(じっそうじ)の「山門」

 「円融寺」から矢田町通りを更に東へ行って直ぐ、通りの反対(南)側の奥まった所に、浄土宗智恩院の末寺、無漏山「実相寺」があり、1600年頃(慶長年間)中井主水が正誉上人を開基として建立したと伝えられ、中井家の菩提寺です。本尊は元法隆寺の辺りにあったのを移した「木造阿弥陀如来像」、鎌倉時代初期の作です。なお、内陣正面に掛かっている扁額は欅(けやき)材で、縦79cm、横140cmの中に右から草書体で「実相寺」と書かれ、郡山城主の柳澤信鴻(香山)の筆、大和郡山市の文化財に指定され、また、寺宝の「三部経一巻」は、やはり藩主柳澤信鴻の自筆で、大名自筆の写経として貴重な経巻きです。
 実相寺の「境内」と、「天狗」のお話

 更に、「実相寺」の境内にある「十三重石塔」は、鎌倉時代末期の作で、総高が約4m、初重軸部に四仏を彫り出しています。所で、「実相寺」の本堂外陣に祀られている「大天狗」は昔、讃岐(香川県)のある神社にあった時、神主の夢枕に三日三晩立ち「大和の実相寺へ行きたい」と願っていました。そこで神主は「天狗」を箱に入れ、はるばる大和まで持参すると、実相寺の住職も天狗が「実相寺へ置いて呉れないか」と云っていた夢を見ていたので、不思議なことがあるものよと、二人の間で話がまとまり、「天狗」の願い通り、「天狗」は「実相寺」にもらわれ、今でも毎年4月14日には、箱を開けて、お祭りされています。
 薬園八幡神社(TEL 0743-53-1355)

 「実相寺」の墓地の裏が「外堀緑地」ですが、また「矢田町通」へ出ると、東隣に通称「やこうさん」と呼ばれる「薬園八幡(やくおんはちまん)神社」が鎮座しています。749年(天平勝宝元年)大宮人の薬園庄があった塩町に創建されたが、郡山城の築城に際して現在地に移転し、本殿は県文化で、一間社隅木入春日造、檜皮葺、桁行5尺2寸8分(1.6m)、梁間5尺9寸8分(1.8m)、春日造ですが前面に隅木を入れ、正面に縁高欄を巡らし、側面縁後端に脇障子を入れ、前面に九段の木階を付け、建築様式は桃山様式の流れを汲み、1759年(宝暦9年)改築。なお、当社では小野小町の全身画を所蔵しています。




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