金魚と百万石の城下町「大和郡山」  その14

 伝承「一の矢塚(いちのやづか)」

 「常称寺」からまた、県道189号矢田線を西へ進み、「奈良工業高等専門学校」の角を右へ曲がると、「奈良県立民族博物館」に近いが、ちょっと回り道しても行けるので、そのまま真っ直ぐ県道189号線を西へ進むと、坂の右側に「矢田坐久志玉比古神社」の御旅所「主人神社」があり、坂を越し橋を渡て左へ曲がり「沖台川」沿いに進み、7本目の街灯の所から田圃の方へ下りると、突き当たりに小さな盛土があり、「一の矢塚」です。饒速日命(にぎはやひノみこと)または櫛玉彦命(くしたまひこノみこと)が下つ国で鎮座の地を定めるために、天つ国から3本の矢を射っと、1本目の矢が落ちた所と昔から云われています。
 矢田坐久志玉比古神社(TEL 0743-52-7313)

 また、橋の所まで戻り、県道189号矢田線「横山口歩道橋」のある交差点を右(北)へ折れて行くと、延喜式内社「矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社」が鎮座しています。祭神は物部氏の祖神、櫛玉饒速日(くしたまにぎはやひ)命とその妃、御炊屋姫(みかしきやひめ)命、俗に矢落(やおち)明神と云われる「飛行の神」で、重文の本殿は、室町時代の建立とみられ、一間社春日造、檜皮葺。なお、楼門の西に櫛玉饒速日命の2本目の矢が落ちた「二の矢塚」があり、彼が天つ国から乗って来た「天の磐船(いわふね)」の破片(磐座)もあり、また、楼門には、奉納された大きなプロペラが掲げられています。
 大和民族公園

 「矢田坐久志玉比古神社」から西へ向うと、矢田丘陵の一角26.6haが「県立大和民族公園」です。18世紀〜19世紀に建てられた県内の特色ある民家9軒11棟を移築復元し、園内に梅150本や多数の桜が植わり、「花しょうぶ」は5月下旬〜6月中旬が見頃で、なお、「民俗博物館(TEL 0743-53-3171)」は観覧料200円、開館9:00〜17:00、毎週月曜日(祝日なら翌日)が休館で、乗用車が118台入る無料駐車場もあり、館内では、昭和45年以前の県内の生業を地域により、奈良盆地の稲作、大和高原の茶業、吉野山地の林業の3つに分け、機械化が進む前の作業道具等約7400点を常備展示しています。
 三の矢塚(邪馬台国想定地)

 「大和民俗公園」から北へ出て、西へ進むと田圃の中に「三の矢塚」があり、櫛玉饒速日命が天つ国から3本の矢を射放って、3本目の矢が落ちた所で、古くから宮所(みやどころ)と呼ばれ、古代の史書「先代旧事本紀(くじほんぎ)」巻第5の天孫本紀に、櫛玉饒速日命が「天の磐船」に乗って「天つ国」から河内国河上哮(たける)峯に天降り、大和国鳥見白庭山へ遷座したと記されています。この辺りでは、往古より白土を産する当地が鳥見白庭山であると云われ、また「日本書紀」巻第3では、神武天皇が東征の出発前に青山が四方を囲む美しい土地が東方にあり、そこには天の磐船で飛来した饒速日命が居ると語っています。
 矢田自然公園「子供の森」

 伝承「三の矢塚」から北へ行くと、奈良市との境に県立矢田自然公園「子供の森」があります。都市化が急速に進む地域の中にあって豊かな自然を残し、面積約300ヘクタールの都市近郊林で、「峠池」の西側に「矢田山遊びの森」の利用拠点施設「子ども交流館(TEL 0743-53-5819)」があって、無料で利用できる「森の情報館」には自然環境系の図書約1000冊を揃えており、なお、「料理体験館」には500人分の豚汁を作れる大釜があり、また、「子ども交流館」が案内するイベントに参加すると、炭焼体験や、しいたけ植菌体験ができ、毎月第2・4土曜日には森林ボランティアによるオリエンテーションを行っています。




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