奈良南西部 西の京  その5
 がんこ一徹長屋(TEL 0742-41-7011)

 「薬師寺」の直ぐ西が近鉄橿原線「西の京駅」で、更に駅の直ぐ西側に「がんこ一徹長屋」があります。南門の東側に池田朝臣の万葉歌碑巻16−3840、また、入館料500円を払って、門を入ると庭の中に笠女郎の万葉歌碑巻4−4608があります。なお、「がんこ一徹長屋」は、大和の伝統工芸を受け継いだ6人の匠が集まった職人長屋で、一刀彫、漆工芸、赤膚焼、表具、茶筌、奈良筆など鍛えられたこだわりの技が存分に見られて、開館は9:00〜17:00(但し、入館は16:30まで)。また、北門を出て西側に隣接する「墨の資料館」では、毎年10月から春先まで、「にぎり墨」の体験(有料)ができます。
 天然記念物「養天満宮社そう」

 「がんこ一徹長屋」の北門、「墨の資料館」を出て直ぐ北隣の鬱蒼(うっそう)と高木が繁っている所に「養天満宮」が鎮座しています。境内3140平米が奈良市指定文化財、天然記念物で、ツブラジイを中心とする群落です。高木層にはツブラジイ(コジイ)、ネジキ、ナナメノキなど。亜高木層にはカナメモチ、サカキ、アラカシなど。低木層には上層木の稚樹を始めイヌビワ、ネザサなど。草木層にはベニシダ、フユシダ、ヤブコウジ、マンリョウ、サネカズラ、ジャノヒゲなどがあります。住宅地にあって原始林的な森林形態を保っているのは極めて珍しく、春日山原始林のツブラジイ群落の様に鹿の影響を受けておりません。
 唐招提寺(TEL 0742-33-7900)「金堂」

 「養天満宮」の鳥居の前の踏切を渡って、東へ出ると、「薬師寺」から「唐招提寺」への道で、北へ行き突き当たって右へ曲がると「唐招提寺」の山門です。759年(天平宝字3年)天武天皇第7皇子、新田部親王の旧邸宅を鑑真和上が賜って創建したお寺です。南門の額は、女帝で第46代孝謙天皇の筆で、南門は昭和35年4月に再建されていますが、そこを入ると真正面に見えるのが天平建築で国宝の「金堂」です。大棟を飾る風雪千二百年の鴟尾は向かって左が古く、右は新しく、また、寄棟造の大屋根を支えている柱はエンタシスで、8本の間隔が左右の端に行くほど少し狭くなって、「金堂」を実際より広く見せています。
 唐招提寺の国宝「講堂」

 「唐招提寺の金堂」の本尊は、座高3mの乾漆盧舎那仏坐像で、両脇の木心乾漆千手観音立像と木心乾薬師如来立像等と共に国宝です。千手観音像は天平時代に 作られた1000本の手が約40本欠けていますが、像高5.358mは、我が国最大の木心乾漆像です。そして「金堂」の後ろに建つ堂が写真の「講堂」で、 奈良時代に平城京で行われた儀式の時、高級官吏人が待機した「東朝集殿」を移築し、屋根の切妻造を入母屋造に改造した建物で、鎌倉時代に大改造が行われて いますが、奈良時代の天平の宮殿建築としては唯一の遺構、堂内には鎌倉時代の木造弥勒如来坐像、国宝で天平の木造持国天と増長天立像が安置されています。
 唐招提寺の国宝「鼓楼(ころう)」

 「金堂」と「講堂」の中間東側に建っている重層の建物は、1240年(仁治元年)再建の「鼓楼」で、現在は「舎利殿」になっていますが、毎年5月19日ここで「うちわまき会式(梵網会)」が行われます。この行事は、唐招提寺を中興された覚盛上人が仏堂で修行中蚊に刺され、見かねた小僧さんが蚊を殺そうと したら、上人が「蚊に血を与えるのも功徳の1つ」と諭され、その後、1249年(建長元年)5月19日亡くなった上人の命日に、かって修行の指導を受けた法華寺の尼さんが、可愛いハート形の団扇を供えて、上人の徳を偲びました。そして後、法要で供えられた団扇が参詣の人々に授けられ恒例になったそうです。




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