日本最古の地名、忍坂街道、額田王の里  その5

 音羽山(倉橋山、標高851.7m)

 「倉橋溜池」からまた東へ戻り、国道166号線の南下の「近畿自然歩道」を粟原川(おおばらかわ)に沿って東へ上がって行くと、南に音羽山がのしかかる様に聳えています。古事記で、速総別王(はやふさわけノおおきみ)と女鳥王(めどりノおおきみ)が手を取り合って逃げ込んだ山で、万葉集では三首に詠まれ

 倉橋の山を高みか夜隠(よごも)りに
 出で来る月の光り乏しき     巻3−290
 はしだての倉橋山に立てる白雲見まく欲り
 我がするなへに立てる白雲   巻7−1282
 国史跡「粟原(おおばら)寺跡」

 国道166号線のバス停「粟原」の直ぐ下を流れる粟原川の粟原橋を渡って、粟原の集落の傾斜地を南へ上がって行くと、高台に「天満神社」が鎮座し、その裏、南側に「粟原寺跡」があります。江戸中期、談山妙楽寺(今の談山神社)から発見された「粟原寺三重塔露盤の伏鉢」の銘文によると、「粟原寺」は中臣の大島が草壁皇子を偲び創立を誓願したが果たせずに没したので、後に比売朝臣額田(ひめあそんぬかた)が694年(持統天皇8年)から715年(和銅8年)まで22年を要し、この地に伽藍を建て、丈六の釈迦仏像を造り、金堂に安置し、三重塔も建て、草壁皇子と共に発願者の大島の冥福をも合わせて祈りました。
 半坂峠(標高約440m)の「男坂傳稱地」碑

 「粟原寺跡」から集落へ下りて、集落の東を流れる小川を渡り、山際を通る「近畿自然歩道」を東へ辿ると、一山越えて奈良県宇陀郡大宇陀町喜河原(うれしがわら)へ至りますが、途中に「半坂峠」があって、峠の頂上付近に「男坂傳稱地」の碑が建っています。日本書紀の神武天皇即位前紀9月の条に「女(め)坂に女軍(めノいくさ)を置き、男(お)坂に男軍(おノいくさ)を置く」と書かれた「男坂伝承地」です。なお、「女坂伝承地」は、もっと南にあって、桜井市八井内と大宇陀町の境にある「大峠」に、やはり同じ様な「女坂傳稱地」の石碑が建っていますが、登ったら「女坂」の方が「男坂」よりも骨の折れる坂です。




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