佐保、佐紀路辺り その8

 延喜式内「挟岡神社」

 「興福院」から佐保路を通る市指定「歴史の道」を西へ1キロ行ったら「不退寺」ですが、途中に大日山「瑞景禅寺」があり、次の「県立奈良高等学校」前を過ぎたら、ちょっと「歴史の道」を外れて北へ行くと地元で「菅原天神の隠居」と云われる「挟岡神社」があります。また、境内には「古事記」、「日本書紀」に記されている垂仁天皇の最初の皇后・挟穂姫の伝説の「洗濯池」があり、「姿見の池」または「鏡池」とも呼ばれていますが、彼女の墓陵は何処にも無く、この池が唯一の伝説地です。なお、写真の左側の道を通り直ぐのカーブミラーで左(西)へ曲がって行ったら、見晴らしが良く、東に若草山、大仏殿が望まれます。
 佐紀山から東の若草山(三笠山)を見る

 奈良市の北側は、直ぐ京都府相楽郡木津町ですが、奈良県と京都府の境に沿って東西に延びる丘陵地帯を平城山(ならやま、奈良山、標高100m)と呼び、南に平行して東から西へ一級河川「佐保川」が流れ、平城山の東部、佐保川の上流の辺りが「佐保山」で、平城山の西部を「佐紀山」と呼び、万葉集巻3に大伴家持が「佐保山」を詠った歌があり、また、旋頭歌で 「佐紀山」も詠われ、写真で御蓋山(みかさやま)は右端ですけど、春日山原始林と同色でよく分からず。

 春日にある御笠の山に月も出(い)でぬかも
佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく 巻10-1887
 不退寺の国重文「南大門」

 東大寺二月堂、大仏殿の上辺りにちらりと白く見えているのが満開の桜で、4月上旬ならそれを見て西へ下りると「不退寺」ですが、一条通りのバス停「不退寺口」からは、JRの踏切を越し北へ200mです。豪華な蟇股(かえるまた)が乗った切妻造の四脚門は鎌倉時代に建立され、ここは、809年(大同4年)第51代平城天皇が平安京で譲位して、幼い頃に過ごした奈良が懐かしく、御殿を造って仮住まいをされた「萱(かや)の御所」です。平城天皇の第1皇子阿保(あぼ)親王も住み、後に親王の5男在原業平朝臣が847年(承和14年)詔を奉じて旧居を精舎にし、聖観音像を安置して、「不退転法輪寺」としました。




奈良観光表紙に戻る  佐保路の散策図を開く  前のページに戻る   次のページへ進む