「大和三山」と「長寿道」の辺り  その8

 重文「音村(おとむら)家住宅」

 「旧米谷家住宅」の2建西隣が「音村家住宅」で、「細九」(細井戸屋九兵衛、九右衛門)の屋号を持ち金物商を営んでいました。切妻造、本瓦葺、ツシ2階の低い2階建で、17世紀後半頃に主屋を建て、「旧仏間」を大きく取った喰違い6間取り、後に「仏間」の仏壇を撤去して、主屋の西北隅に2間続きの「つの座敷」が増築されています。これは、一般に主屋内に「座敷」を設ける事が認められず、別棟にして建てたものです。更に、1855年(安政2年)の大地震の翌年、「つの座敷」の屋根を取り込んで、西側に2間続きの「座敷」が接続し、西側道路境に便所、風呂も建て、時代の情勢に合わせて逐次造築されています。
 重文「上田(うえだ)家住宅」

 「音村家住宅」から北へ行って、次の四つ角を西へ行くと、角の所に「上田家住宅」があります。当家は葛下郡片岡城主片岡新助の子孫で、1570年(元亀元年)移住し、今西、尾崎家と並び惣年寄をつとめた3家の1つで、屋号を「壷屋」と称し、江戸時代初期酒造業を営んでいたので、今も鬼瓦に「壷」の模様をあしらっています。主屋は、祈祷札から、1744年(延享元年)頃の建築と見られ、入口を西側に設け、屋根も他家と異なり、内部も北側が通り土間、南側に6間取りの部屋を設けていますが、「店の間」の床の高さは、一段下がるのが普通なのに、惣年寄りの特権から他室と同じ高さで装飾的な要素が多い建物です。
 順明寺(TEL 0744-22-3393)

 「上田家住宅」から北へ行くと、浄土真宗本願寺派「順明寺」です。開基は、昭意坊源海法印順明(多田源八郎仲貞)、1217年(健保5年)31歳の時、常陸国稲田で親鸞聖人の弟子となり、出家得度して、大和国十市郡新賀庄に室を建立し、1626年(寛永3年)第十世了恵が現在地へ移して後、1660年代(寛文年間)より次第に衰微したが、中興の祖第十四世隆元が1680年(延宝8年)再興し、明治24年11月明治天皇の母・英昭皇太后が畝傍御陵参拝で、当院に宿泊され、今も御座所が残っており、本堂は、桁行梁行共に十間、入母屋造、向拝付本瓦葺、本尊は阿弥陀如来立像で、蓮如、親鸞の肖像画もあります。




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