「大和三山」と「長寿道」の辺り  その11

 橿原市今井町の「春日神社」

 「今西家住宅」の南側、今井町の西南隅に鎮座するのが「春日神社」です。なお、神社の西側から南側を土塁が囲っているので、昔の土塁と環濠の状態がよくわかります。また、江戸時代の初めには、家数千軒、人口4千に達する程の繁栄を見せた今井町も、町民は町掟等によって自らを規制し、かなり窮屈な生活を送り、特に火災については厳しく定められていました。けれどもそんな中で日待講や地蔵講などの宗教行事は唯一の楽しみで、特に氏神「春日神社」の祭礼では、豪壮なダンジリも出ましたが、今でも毎年7月7日夜7時、今井町行者講奉賛会によって「行者まつり」が神社の境内で行われ、厄除け護摩木祈願があります。
 橿原市指定文化財「旧常福寺観音堂」

 なお、「春日神社」境内に「旧常福寺」の観音堂、行者堂、門等が残っていますが、「旧常福寺」の沿革の詳細については、ほとんど明らかでありませんが、1681年(延宝9年)から天台宗「多武峯」の末寺となり、明治初年まで存続し、「旧常福寺」の「観音堂」は、1613年(慶長18年)に上棟したことを記す棟札が保存されています。上棟後は、1780年(安永9年)と1811年(文化8年)に修理が行われ、軸部を除きかなり手が加えられていますが、建物全体の形式はよく残って、鬼瓦には、東北隅降り棟に寛永14年(1637年)、同隅降り棟と西北隅降り棟に安永9年(1780年)銘がそれぞれあります。
 旧村社「河俣(かわまた)神社」

今井町の南西角から高取川を越えて西へ向かうと、曽我川の戎智橋の袂に万葉集巻7−1344、巻12−3100で詠まれた雲梯(うなて)の社が広がり、

 真鳥住む 雲梯の社(もり)の 菅の根を
 衣にかき付け 着せむ児もがも   巻7

「河俣神社」が鎮座しています。昔は大阪の住吉大社から畝傍山の埴土を採りに赴く途中、当社で装束を整えたので「装束の宮」とも云われ、祭神に鴨八重事代主(かもノやえことしろぬしノ)神を祀り、859年(天安3年)に従二位から従一位に昇叙しています。



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