割箸と三宝の「下市町」  その4

 天誅組(てんちゅうぐみ)砲台跡

 下市温泉まで後約3.4キロの地点、右側の山裾に小さな鳥居が建っていますが、この辺りは天誅組砲台跡です。1863年(文久3年)勤皇浪士70余名が五條代官所を襲い、焼き討ちして軍政を布き、天皇を迎える準備をしました。しかし、京の政変によって、わずか1日で情勢が一変し、孤立した天誅組は、押し寄せる幕府方諸藩連合軍との間で吉野の山地を舞台に孤立無援の戦いを繰り広げて、この「天誅組の乱」により、ここらでも戦闘が行われ、この付近に天誅組の築いた砲台があったと伝えられています。現在砲台の跡は、永年にわたる風雪でほとんどその痕跡を失っていますが、天誅組が往来した道は、当時のままです。
 奈良県三大梅林の1つ「広橋梅林」

 また、天誅組の義士が往来した道が現在ハイキングコースで、途中に「広橋梅林」があり、月ヶ瀬梅林、賀名生(あのう)梅林、と共に奈良県三大梅林の1つです。「広橋梅林」は、白梅を中心に約5000本の梅の木があり、国道309号線のバス停「広橋峠」を中心とする梅林の総面積は、25ヘクタールに及び、花の見頃は、2月下旬〜3月中旬で、紅、淡桃、八重などバラエティに富み、ハイキングコースとも兼ねて木造散策路や展望デッキテラス、「梅の仲間達の果実園」などの施設も点在し、梅林の入口に近い所にある「法泉寺」は、かって天誅組の陣営が置かれた史蹟でもあり、広橋観光物産販売所も梅林の中にあります。
 法泉寺(TEL 0747-52-2421)

 国道309号線のバス停「広橋峠」の直ぐ上が浄土真宗本願寺派龍臥山「法泉寺(ほうせんじ)」です。元は修験道の道場か、或いは、禅の道場であったのを1510年(永正7年)蓮如上人没後10年、上人の大きな感化を享けた真言宗や禅宗の門徒たちが、全村こぞって浄土真宗に改宗されて、開かれたお寺です。官房の色彩が強い寺として、歴代住職は、次々と入れ代わりながら、1863年(文久3年)9月当山は、天誅組の本陣となって、兵火にかかり、ことごとく焼失し、村も全焼しましたが、難を避けていたご本尊の阿弥陀如来は、焼け出された門徒の心意気によって、門徒衆の家よりも先に建った本堂に安置されました。




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