二上山の麓、當麻の里  その2

 虎御前の旧蹟地

 「長尾神社」の北側を通る「竹内街道」を西へ少し行って、直ぐ左へ折れ南へ向うと、葛城市立磐城小学校を過ぎた辺りが「大磯虎女の旧蹟地」です。そこに「地蔵院」が建っていますが、「和州葛下郡今市地蔵尊略縁起」によると、1193年(建久4年)富士ノ裾野で苦節18年の末、父の仇を弟の「曽我五郎時致(ときむね)」と共に討った兄「曽我十郎祐成(すけなり)」に愛された「大磯ノ虎女」が、仇を討っても討ち死にした曽我兄弟の菩提を弔うために出家して、この草庵にわび住まい、十郎祐成の供養をしました。なお、近くに虎女が架けた「虎が橋」がありますが、これは縁切れ橋で、嫁入りの時には今も渡りません。
 柿のなる松ノ木がある「現徳寺」

 「大磯虎女旧蹟地」から更に南へ進むと「現徳寺」に至ります。ここは、1486年(文明18年)蓮如上人が立ち寄られて、本堂へ向かって左側の境内地に植わっていた松ノ木を台木にして、柿ノ小枝をお接ぎになり「今、汝に勧める阿弥陀の本願が虚妄ならば、この接木も空しくなるが、実なれば栄え繁昌する」と云われました。そしたら「松ノ木膚の柿ノ木」と云う珍しい木が出来、この松に柿を接木した霊木は、今も秋になるとたわわに実を結んでいます。なお、松柿は県の保護指定樹木で、間伐、枝打ち、整木などにより「松柿」の現状を変更する時は、県に届け出なければいけません。また、柿の実を食べると腹痛が治ります。
 本朝二十四孝「孝女伊麻の史跡」

 「現徳寺」の山門を出て、ちょっと戻って直ぐ西へ歩いたら、右手の奥まった所に「孝女伊麻の史跡」があります。1671年(寛文11年)夏の頃、疫痢が流行って、後妻にも去られた貧農の長右衛門も危篤になり、娘の伊麻と、弟の長兵衛が懸命に介抱したけど良くならず、鰻を食せば治ると聞いたが手に出来ず、途方に暮れていたら、ある晩大きな鰻が1匹、水瓶の中に入っていました。それを食させると父は全快し、伊麻の孝養心が神に通じたと人々が噂し、領主郡山候本多内記も知るところとなり、伊麻は金穀を給わり、この孝養を顕彰し、1840年(天保11年)12月孝女伊麻生誕の地に「孝子の碑」が建てられました。




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