大和高田市  その2
 割烹「たいらく」のケヤキの蹲踞(つくばい)

 大和高田市有井の集落から東へ行き、「高田川」に至り、橋を渡った交差点の南東角に割烹「たいらく」があり、駐車場に面した壁際にケヤキの「蹲踞(つくばい)」が置かれています。九州は、宮崎県高千穂郡諸塚村から約30キロ離れた標高1342mの「諸塚山」の中腹から切り出された樹齢170年の欅(けやき)の巨木で、この様に大きなケヤキは大変少なく、水が一杯に入ると、右側の小さな穴から水がしみ出て来ます。日本でも数が少ないケヤキの「蹲踞」です。なお、割烹「たいらく」は、11:30〜14:00お昼の定食タイムで、造り定食および天麩羅定食が、1000円と1500円、すし定食2000円です。
 大和高田市大中の「春日神社」

 「高田橋」の角にある割烹「たいらく」から「高田川」沿いに上流(南)へ行くと、次が「宮前橋」で、割烹「たいらく」の直ぐ南隣、土手道を東へ下りた所に大和高田市大中東町の「春日神社」が鎮座します。祭神は、奈良の「春日大社」と同じ神様で、武甕槌命(たけみかづちノみこと)、経津主命(ふつぬしノみこと)、天児屋根命(あめノこやねノみこと)、天児屋根命の妃・比売神(ひめノかみ)ら春日四神を祀っています。四季のお祭りは、3月26日が春季祈年祭、7月11日が夏祭、10月11日秋祭で、小さな子供神輿と小さな太鼓が出て、12月18日新嘗祭(にいなめさい)が行われ、神社の紋は「下がり藤」です。
 春日神社境内にある「義経の七つ石」

 大和高田市大中の「春日神社」の境内に「源義経の七つ石」があります。平家を滅ぼしたけど、兄頼朝に追われた義経が、京都から奈良へ出て、山の辺の道を南へ歩き、長谷街道を西へ向かい、静御前の母・磯野禅尼(いそのぜんに)のいた高田の里へ入り、大中の村の小さな宮(チャンチャン社)で休みました。その時、義経に従うのは、静、武蔵坊弁慶、常陸坊海尊、駿河の次郎、伊勢の三郎、亀井の六郎、片岡経春、狐の化身・佐藤忠信、荷物持ち喜三太の9人で、伊勢の三郎が物見に出て、静は片岡経春の護衛で母に会いに行き、残った義経主従7人が境内の石に腰掛ました。




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