水辺の「川西町」、「三宅町」から桃太郎の古里「田原本町」 辺り  その10
 県指定史跡「黒田大塚古墳」

 奈良県磯城郡三宅町伴堂から「太子道」を更に南へ行くと、磯城郡田原本町黒田へ至り、近鉄田原本線の踏切を渡った左、黒田駅の手前に「黒田大塚古墳」があります。三宅古墳群の南端に位置して古墳時代後期の前方後円墳です。墳丘は、二段築成で、推定される規模は、周濠を含め全長86m、墳丘長70m、前方部端幅45m、同高さ7.7m、後円部径40m、同高さ8.2mです。また、墳丘の周囲に幅8m、深さ約1mの周濠が巡り、周濠の発掘調査で墳丘に立てられていた円筒埴輪や蓋(きぬがさ)形埴輪、蓋形や鳥形の木製品が転落した状態で出土し、埋葬施設は、未調査ですが、6世紀初頭の築成と推定されています。
 黒田盧戸宮跡に建つ「法楽寺(ほうらくじ)」

 「黒田大塚古墳」の西、田原本町黒田集落の北西に真言宗御室派天地山「法楽寺」があります。第7代の孝霊天皇(こうれいてんのう)の黒田盧戸宮(くろだいほどノみや)跡に建立され、本尊は勝軍地蔵、聖徳太子の開基です。後に707年(慶雲4年)第43代元明女帝から「黒田山法性護国王院」の号を給わり、820年頃(弘仁年間)弘法大師も止住しましたが、1207年(承元元年)伽藍(がらん)坊舎を残らず焼失し、その後再建され、室町時代に25宇(う)を数えた盛時を伝える板絵図がありますが、1573年(天正元年)松永と筒井氏の合戦による兵火で又焼失して、現本堂はその後の再建で、今は1堂のみです。
 桃太郎伝説発祥の地、「法楽寺」の本堂

 「広大和名勝志」で、聖徳太子がある夜、光を放つ黒田郷で1人の老人に会い、「ここは孝霊天皇の廟所なり」と言う老人の言葉に従い、伽藍を建て、院号を「往生院」とし、孝霊大明神を祀りましたが、第7代孝霊天皇は、「吉備津彦」の父で、「日本書紀」によると、吉備津彦は四道将軍の1人として、朝廷から遣わされて、西海を平らげ、その後、出雲振根を誅したと言われていますが、吉備津彦は、桃太郎のモデルで、「古事記」では、弟の若日子建と供に鬼が住んでいた吉備(今の岡山県)を平定し、また、田原本町は、川上から男子が流れて来て、神様になったと言う伝説を残し、昔は、万葉集に詠まれた様に桃の名所でした。


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