水辺の「川西町」、「三宅町」から桃太郎の古里「田原本町」 辺り  その21
 唐古池(からこいけ)池畔の桜

 三宅町石見から東へ行き、「寺川」の「石見橋」を渡って、また田原本町へ入り、更に東へ行って、国道24号線を横断して南へ行くと「唐古池」です。奈良盆地には数多くの灌漑用溜池である「大和の皿池」があり、武内宿彌が連れて来た韓人(からと)の造った「韓人池」の訛りで、「日本書紀」に載っている「韓人池」に比定され、昭和58年に発見された唐古池と鍵池の絵図で、1703年(元禄16年)に普請された事が明らかになり、溜池として、周囲の水田に給水する為、平地の少し高所に造られ、その後、堤防付近の発掘によって、「唐古池」が方1町の溜池として造られた後、2回にわたって北側に拡張されています。
 国の史跡「唐古・鍵遺跡」の楼閣(復元)

 また、「唐古池」は、微高地を中心に営まれた弥生時代(B.C.3世紀〜A.D.3世紀)の集落遺跡に重複して造られており、昭和52年以降、断続的な調査で、遺跡の範囲が30ヘクタールにも及ぶ巨大環濠集落であることが判明しました。集落の周囲には、幅5m〜10mの環濠が幾重にも巡り、敵からの防御や運河の機能を担っていました。なお、集落の内部では石器、木器の生産や青銅器の鋳造も行われ、絵画土器の出点は、百数十を数え、これは全国出点の1/3を占め、その中に「楼閣」を描いた土器がありました。また、岡山や静岡で作られた土器も出土し、広い地域の人々と交流していた事から、物資の流通の中心地でした。
 志貴の道、初瀬川展望公園、「眺めの丘」

 「唐古池」の北東角から東へ行って、「大和川」に至ると、北に「志貴(しき)高校」があり、土手上が「しきの道」、「はせがわ展望公園」、「眺めの丘」です。大和川(初瀬川)延長約3.5キロメートルの川沿いに隣接した公園で、田原本町東部、大字八田の「出会いの広場」には人形や馬の埴輪を模したモニュメントが置かれ、そこから南へ来た所に楼閣を模した四重搭が建つ「眺めの丘」、更に大和川の上流へ遡り南へ行くと、「みちくさ広場」「げんき広場」「ひょうたん広場」「すいせんの丘」「森と泉の広場」「さくら広場」と続き、対岸にグランドゴルフの「えのき広場」「やなぎの広場」「花見広場」等もあります。


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