大和路に春を呼ぶ長谷寺の「だだおし」

 長谷寺の「だだおし」は東大寺二月堂「お水取り」の「お松明」と共に大和における代表的な「火祭り」です。

 2月8日から7日間行われる法要「修二会(しゅにえ)」の締めくくりとして、2月14日に「だだおし」の儀式が行われます。なお、正式には追難会(ついなえ)と呼ばれ、古くは1月1日から7日間、人々の罪・穢れを仏前で懺悔し身も心も清らかになって新年を迎える「修正会(しゅしょうえ)」に続いて、旧正月14日午後6時頃行われていましたが、近頃は、文化財の保護・防火や遠方からの参詣者の利便等を考慮し、午後4時頃より行われます。

 また、「だだおし」の「だだ」とは、閻魔大王(えんまだいおう)の持ち物で、悪人の罪を罰し穢れを祓う杖という説、厄病神を駆逐する「難押し(だおし)」から来たという説、「閻浮壇金宝印(えんぶだごんほういん)」あるいは「壇だ印}を人々の額に押す「壇だ押し」から来たという説、「だだだ・・・」と鬼を追い出す所作から来たという説など、諸説があり定かではありませんが、寺伝によると、長谷寺開山徳道上人(とくどうしょうにん)さまが、717年(養老2年)病で仮死状態になって一時ほど冥土へ行き、夢うつつでいると、閻魔大王が「お前はまだ死んではならぬ、早く立ち返って西国三十三カ所観音霊場を開基せよ」と云われ、その時にいただいた閻浮壇金(えんぶだごん)の黄金印(壇ダ印)を「修二会」結願の日に、諸仏諸菩薩を始め、参詣している善男善女の額に押し当て「悪魔退散」「無病息災」の加持祈祷をしました。その時、長谷寺の乾(西北)の方、白山に棲んでいた悪鬼が、暮れ六つの鐘と法螺貝の音を聞いて出没し、里人達を困らせたので、この鬼を修二会の法力で追っ払いました。

 それ以降、宝印による加持と鬼払いは、閻魔大王によって保証された宝印の力と、十一面観世音菩薩に懺悔することによって与えられる法力によって悪魔が鎮められるという信仰から「だだおし」の法要として、千年の昔から今日まで伝えられ、毎年多くの参詣があります。

 なお、法要はまず、悔過導師(けかどうし)以下職衆が入堂し、本尊十一面観世音の御前で我々の罪科を懺悔する悔過法要が行われ、ついで厳重な封印が解かれて、本尊正面に如意宝珠(にょいほうしゅ)・閻浮壇金(えんぶだごん)の宝印など七種の秘宝を納めた箱が供えられ、正装した化主大僧正が大導師をお勤めになって、一山の僧侶が出任する荘厳な法要が展開され、最後に鬼面加持が行われます。

 法要が終わり、大導師が定めの席に着くと、宰堂職(さいどうしょく)が宝印を捧げて正面に進み出て、まず本尊を仰ぎ恭しく宝印を押し奉り、次に左上段の天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)、右上段の春日大明神(かすがだいみょうじん)。続いて、天地四方を押し終わった後、大導師以下一山の僧侶、並びに堂内外の信者・参詣者の額・牛玉札(ごおうふだ)に宝印の加持があって、この宝印授与の儀式に前後して、いよいよ堂内に太鼓・法螺貝が激しく鳴り響き、二尺余もある大鬼面の赤・青・緑の三匹の鬼が現れ、こん棒を振り回し、大音勢で堂内を暴れ廻ると、僧侶達が牛玉札を持って加持して追い出し、堂外では、鬼を追って男衆が、長さ一丈五尺余り(約4.5m)、重さ三十貫超(約120キロ)の巨大な松明を担いで堂の周囲を廻り、炎の勢いでもって鬼を退散させると、暴れ回った鬼どもは、東の広場に出て、いずこともなく消え去ります。

 また、年の始めに国家の隆盛と国民の繁栄を祈る「仁王会(にんのえ)}、そして「修正会」に続く「修二会」の「だだおし」は、大和に春を呼ぶ一大火祭りでもあります。



奈良観光表紙に戻る