大和の祭り始めは「ちゃんちゃん祭り」

 大和路にお祭りは、数々あれど、正月元旦大神(おおみわ)神社の繞道祭(にょうどうさい)、3月13日春日大社の申(さる)祭り「春日祭」を差し置いて、大和の俚謡(りよう)で「祭り始めは、ちゃんちゃん祭り、祭り納めは、おん祭り」と謡われるのが、4月1日大和(おおやまと)神社の「ちゃんちゃん祭り」で、12月17日春日大社摂社若宮神社の「おん祭り」と共に大和の代表的なお祭りで、室町時代まで興福寺が支配し、宇治猿楽と大和猿楽立合の場所でした。

 なお、お祭りは、大和神社の郷中である天理市の成願寺町、兵庫町、長柄町、新泉(にいずみ)町、岸田町、佐保庄町、三昧田(さんまいでん)町、萱生(かよう)町、中山町の9町の氏子による頭屋(とうや)があり、頭人や頭人子(とうにんご)を始め、座中の人が浄衣を付け、3月31日宵宮渡りにお参りして、翌4月1日の神幸祭(しんこうさい、お渡り)に奉仕され、お渡りに青銅で鋳造された鉦(かね)を叩いて、チャンチャン鳴らすので、「ちゃんちゃん祭り」と呼ばれています。

 また、4月1日午前中が主神・大国魂大神(おおくにたまノおおかみ)の例祭で、午後が氏子によるお渡りで、「本社」と境内摂社「増御子(ますみこ)神社」の神輿が二基出て、お渡りを先導するのが、「増御子神社」の祭神・猿田彦大神(さるたひこノおおかみ)で、その後に氏子による儀杖の常持ちが従い、新泉は梅の幹と小幣(こへい)と太鼓を持ち、長柄は錦旗を持ち、兵庫は千代山鉾(ちよやまぼこ)と竜頭を持ち、他はくじ引きで鉦を担いで打ち鳴らし、座中の人は、町名を書いた旗と産子幣(うぶこへい)を持って自分の町の儀杖に従い、宮司や市長さんは本社の神輿を中心に馬に乗って行きます。

お渡りを先導する「猿田彦大神」
撞木でチャンチャン叩く「鉦」

騎馬で行く「大和士」と「宮司」
白馬の「市長」と中山の「氏子」


 そして、お渡りは「山の辺の道」の御旅所「大和稚宮(おおやまとわかみや)神社」へ神幸するが、鳥居の脇にある社標石台には、「大和大明神、応永十四年(1407年)三月廿日大施主桑門俊印」の刻銘があり、それが神輿の置石台に転用され、お渡りが鳥居をくぐって出た所が「上街道(かみかいどう)」で、200名にもおよぶ行列は、数百mにわたり、「矢はぎ塚」を右に見て、鉦を撞木(しゅもく)で叩いて「チャンチャン」鳴らし、南へ向って天理市岸田町の方へ進み、神幸の途中で神輿は、岸田町市場の置台(腰かけ石)に立ち寄り、降ろして一服され、休息が終わると、お渡りは「上街道」を南へちょっと進んで左へ折れ、国道169号線を横切り、田圃の畦道を通って中山町のお旅所へ至ります。

 白黒の幕を張った境内に神輿が到着すると、「お旅所祭」が行われ、各町の頭屋が、長柄は塩鯛を、兵庫町は柳の箸一膳、中山町は茅巻(ちまき)を供え、その間、座中の者は弁当を広げて酒盛りで、その後、豊作を祈願して、新泉町の氏子が甑(こしき)に橿(かし)の葉を入れ、菅笠姿で鋤(すき)を持って、橿の葉を撒くしぐさをし、次に兵庫町の頭人子が竜頭を持って「竜の口」舞を披露し、そして、夕方「神幸」が本社に還幸して終わります。

本社の「神輿」と岸田の「置台」
中山町での「お旅所祭」

「新泉」の氏子による橿の葉撒き
頭人子の「竜の口」舞い

「氏子」達と「神輿」のお帰り
「猿田彦大神」のお帰り

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