日本一広い村「十津川」  その3

 十津川村谷瀬(たにせ)の「吊り橋」

 「黒木御所跡」からちょっと南へ行くと、十津川に「谷瀬の大吊橋」が架かり、対岸の国道168号線へ渡れます。川からの高さ約54m、長さ297.7mで、鉄線の歩道専用の吊橋としては、日本一長い吊橋と云われています。昭和29年800余万円を投じて架設された生活用の歩道専用の吊橋ですが、近年は、日本最長と云う記録と共に周囲の山々が織りなす眺望や、渡る際に味わうスリル感が話題を呼び、十津川村随一の観光名所になり、連休や夏休みともなると連日観光客が訪れ、危険だから一度に20人以上は渡れないため、監視員がいて十津川村上野地から谷瀬側まで一方通行の規制がなされ、渡りきったら、吊橋の渡橋は無料ですが、また元の国道168号線が通る上野地まで上流の別の橋を迂回して、有料の村内バスが運んで呉れます。なお、この橋が出来るまでは下の川原に丸木橋が架かり、洪水毎に流され、水量の割に川原が広く、明治22年の大水害まで集落があったけれど、被災者達は、新天地を求めて北海道へ移住しました。
 位牌を安置する「国玉(こくおう)神社」

 なお、「谷瀬の大吊り橋」を地元の人達がバイクで渡っていますが、観光客が二輪車で橋を渡るのは禁止で、また、吊り橋の上は禁煙、花火も一切禁止です。かつ、吊り橋での事故等について、十津川村は一切の責任を負われません。また、「谷瀬の大吊り橋」から「十津川」沿いに国道168号線を約1キロほど南下すると、崖の斜面に「国王神社」が鎮座しています。吉野杉の繁る崖の斜面で、「新宮川」の河畔にあり、国道から見えません。1373年(文中2年)の創建と伝え、祭神は、南朝3代の長慶天皇で、天皇の御陵墓の地とも伝えられ、「南帝陵」とも云われ、境内に1822年(文政2年)建立の石灯籠等があります。
 南帝陵(なんていりょう)「御首塚」

 「国王神社」の横をちょっと国道の方へ上がると、第98代(南朝3代目)長慶天皇の「御首塚」があります。長慶天皇は、1373年(文中2年)8月位を弟の御亀山天皇に譲って、同年10月まで紀伊国玉川の宮に居られたが、賊徒の来襲を受けて大和天川村、五色谷行在所へお移りになり、そこも送徒に襲われたので、もはや運命もこれまでと同所の「廻り岩」にて自害なされました。この時、近侍の者が御遺体を水葬にした所、数日を経て御首が下流の十津川村上野地字河津の渕(現在地付近)に流れ着いて、毎夜水底より不思議な一条の光を発したので、村人が丁重にここへ葬り玉石を安置して、頭の神様として崇めています。




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