旧柳生街道「滝坂の道」  その14

 柳生新影流の「正木坂道場」

 「八坂神社」からバス停「正木坂」の横を通って、大きな道を横切り、「今川」を渡って坂道を登ると、「旧柳生陣屋跡」公園から見えていた「正木坂道場」があります。柳生宗矩(むねのり)の長子三厳(みつよし)、通称十兵衛(じゅうべい)が門弟1万3千に剣禅一如の心身を教え錬成した所で、柳生新影流は、十兵衛の祖父宗厳(むねよし、石舟斎)が上泉伊勢守から新影流を学んだ後、柳生新影流を創始し、それを十兵衛の父宗矩が学び「兵法家伝書」を著し、その後十兵衛が幼少より家光に仕えて、柳生新影流を究め、兵法書「月之抄」を著しました。なお、柳生の「二枚笠」は千姫事件で切腹した坂崎から譲られた紋です。
 「天之石立神社」の「一刀石」

 「正木坂道場」へ向かう坂道の途中を左へ折れず、山道をそのまま真っ直ぐ15分登ると、戸岩谷(といわだに)の谷間に「天之石立(あめのいわたて)神社」が鎮座しています。手力男之命が開いた天岩戸の扉の石が空を飛んで当地に落ち、巨石が重塁し、前伏磐、前立磐、後立磐などの巨石が御神体で、延喜式神名帖に記されている式内社ですが、粗末な拝殿があるだけで本殿は無く、昔は柳生家の修練場で、更に谷の奧へ100mほど行くと、約7m四方の巨石があり、柳生石舟斎宗厳(むねよし)がある晩、白衣を着た天狗と試合をして、一刀を浴びせたけど、天狗はかき消え、巨石が真っ二つになって残ったのが「一刀石」です。
 芳徳寺(TEL 0742-94-0204)

 「正木坂道場」の裏から北に行くと、京都大徳寺派臨済宗(禅宗)神護山「芳徳(ほうとく)禅寺」があります。1638年(寛永15年)柳生但馬守宗矩が亡父石舟斎宗厳の菩提を弔うため、沢庵禅師を開山に仰ぎ、列堂和尚を第一世として、塁城に創建し、その後柳生家代々の菩提所になったが、1711年(宝永8年)方丈や鐘楼等が全焼し、1714年(正徳4年)第2世梅堂和尚が再建され、本堂は平成5年より解体修理して、創建当時の禅宗形式に一新、本尊は「木造釈迦如来坐像」、他に柳生但馬守宗矩や沢庵禅師、列堂和尚の木像、柳生新影流の文献資料があり、なお、管理の「正木道場」は貸切制で宿泊可能です。




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