山背(やましろ)古道  その10

 京都府登録文化財「松尾(まつお)神社」

 臨済宗、霊宝山「玉臺禅寺」からまた竹藪を通って山を下り、三叉路からちょっと北へ行って次の三叉路から又東へ向かって山間部へ入ると、「松尾神社」が鎮座しています。天武天皇が吉野山から東国へ向かう時、この地で大山咋神の化身「樺井翁」と軍議の後、翁が姿を消した跡地に宝珠を埋めましたが、701年(大宝元年)秦都理が霊夢によって宝珠を得、それを神体として宮殿を創建したのが当社の始まりで、拝殿と表門は、桃山時代に造立され、拝殿棟木の墨書から1610年(慶長15年)再建し、本殿は1808年(文化5年)奈良春日社の若宮本殿を移築していますが、表門西側の塀は、現存する国内最古の土塀です。
 国史跡「椿井大塚山古墳」

 「松尾神社」の南隣がラジコンカー専用TK−RACE WAY(TEL 0774-86-2006)で、その横を通りJR奈良線を越して「山背古道」に下り、北へ行ってまたJR奈良線の方へ入ると、「椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳」があります。全長185mの巨大な前方後円墳で、昭和28年の発掘調査の折、鉄製の武器などと共に30数枚の「三角縁神獣鏡」が出土し、邪馬台国の女王・卑弥呼が魏の皇帝から貰った鏡でないかと注目されました。なお、出土品のレプリカは、JR奈良線「棚倉(たなくら)駅」から西へ少し行った「アスピアやましろ」で見られ、古墳の石蓋は「山城中学校」の校庭にあり、道路から見られます。
 神童寺(TEL 0774-86-2161)

 「椿井大塚山古墳」から又西へ出て「山背古道」を北へ向い、JR奈良線北河原の踏切を渡り、鳴子川沿いに東へ2キロ上がって、興福寺一乗院から移築した山門を入ると、真言宗智山派北吉野山「神童寺(しんどうじ)」です。596年(推古4年)聖徳太子が自ら彫った千手観音を安置した大観世音教寺で、後に役行者の修行中、神童が現れたので「神童寺」と改称して、本尊「蔵王権現」を安置。また130cmの典型的な定朝様の「阿弥陀如来坐像」は、寄木造、漆箔、衣紋が端正で、台座の宝相華文及び蓮弁に時代の特色が伺え、なお、境内を上った山の斜面では、桜が散った後、「ミツバツツジ」が咲き、秋は紅葉が綺麗です。
 「天神神社」の本殿

 「神童寺」から更に東へ少し登ると、「天神神社」が鎮座しています。拝殿の後ろにあって朱色が鮮やかな「本殿」は、室町時代の創建で、京都府登録文化財に指定され、なお、神社の森一帯は、木々が鬱そうと生い茂り、京都府教育委員会によって天神神社文化財環境保全地区に指定されています。また、境内の片隅で石垣に囲まれて、周りの杉木立と背丈を争うように建っている「十三重石塔」は、高さ約4.15mの花崗岩製で、塔身四方に仏像が刻まれ、台石に建治三年(1277年)10月3日の刻銘があり、塔の容姿が整い、建立の年代が明らかな十三重塔として、重要な遺構である為、国の重要文化財に指定されています。




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