吉野  その1

 近鉄「大和上市駅」の上から南を見る

 近鉄吉野線は、橿原神宮前駅から南下し、飛鳥駅・壺坂山駅・JR和歌山線と接する吉野口駅・福神駅・大阿太駅と来て、大きく左(東)へ曲がり、そこから吉野川に沿って、下市口駅・越部駅・六田駅、トンネルを抜けると大和上市駅、そこを出て直ぐ右(南)へ曲がり吉野川を渡ると、吉野神宮駅、そして終着駅の吉野駅です。写真は電車が吉野川を渡る前の大和上市駅のトンネルの上から、吉野川を真下に見て、対岸の吉野山の方を撮したものです。写真では、はっきりとしませんが金峯山寺の蔵王堂も写っています。なお、鉄橋を渡ってちょっとカーブした辺りが吉野神宮駅、また、桜の木の枝の先で高い山が「青根ケ峯」です。
 吉野川の「柳の渡し」

 吉野散策図には載っていませんが、吉野川に沿った近鉄吉野線の六田駅と大和上市駅の間に昔は吉野川を渡る「柳の渡し」が在りました。大淀町北六田と南の吉野町六田を結んだ渡しで、平安時代に聖宝(しょうほう)理源大師が開設し、美吉野橋が架かるまでは、約3キロ上流の「桜の渡し」、約3キロ下流の「椿の渡し」と共に吉野川の三渡津の1つで、大峯七十五靡第75番に数えられ、理源大師を開祖とする当山派の修験者にとっては、ここが大峯への北の入口でした。写真は美吉野橋の上から下流を撮したもので、真下に 当山派とは逆のコースで大峯から下りて来た本山派の修験者が終点「柳の渡し」を担がれて渡っています。

 六田の宿(しゅく)の役行者像

 柳の渡し(六田の渡し)を北から南へ渡った所が、「六田(むつだ)の宿」で、当山派の修験者は、ここ吉野川で水垢離(みずごり)を取って身を清めてから吉野山を経て大峯参拝の後に、熊野へ下山され、また毎年9月7日、ここで「行者まつり」が行われます。なお、万葉集で「六田」に関する歌は、2首詠まれ、

 音に聞き 目には未だ見ぬ吉野川
  六田の淀を今日見つるかも 巻7−1105

 河蝦(かはず)鳴く 六田の川の川楊の
  ねもころ見れど飽かぬ川かも 巻9−1723
 吉野山の「一の坂」から北西を見る

 眼下に見える吉野川の「美吉野橋」を渡ってから、「六田の宿」より山道へ入って行くと、かなり急坂で吉野の「一の坂」と云います。距離はそんなに無く、坂を登り切ると、なだらかな山道が「吉野神宮」まで続いています。今は修験者以外誰も通りませんけど、吉野散策図で北から吉野山へ登るバス路線と並行して西側を通る山道は、バス路線の県道が開通するまで、吉野山へ登る主要な道で「長峯」と呼ばれています。なお、写真は「長峯」までの「一の坂」の途中から、吉野川を挟んで北の対岸を見た所で、紅白に塗られた鉄塔の後ろに霞んでいる山が「金剛山」です。また、右端に霞んでいる山が「葛城山」、左端は下市です。




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