吉野  その9

 桜本坊(TEL 07463-2-5011)

 「喜蔵院」から南へゆるい坂道をちょっと来た左、または「善福寺」の狭い坂道を元の所まで上がると、大峯山護持院の1つ、天武天皇と持統天皇ご夫婦の勅願所「桜本坊」で、天武天皇が桜の吉夢を見て建てた古刹です。元は蔵王堂の前に在って、密乗院と称したが、明治8年現在地に移り、金峯山修験本宗大峯山(井光山)「桜本坊」と改称されて、明治初年の神仏分離で廃寺になった諸寺院の諸仏を集められたので、「諸仏堂」と呼ばれ、また、役行者が感得された聖天(大聖歓喜天)を併祀して、「吉野の聖天さん」とも呼び、ここも宿坊の1つ、客殿が在り、大広間を天武天皇ゆかりの「日雄(ひのお)殿」と称しています。
 桜の木越しの「桜本坊」本堂

 本尊は「大日大聖不動明王像」、金峯山出土で国重文「木造線刻蔵王大権現鏡像」、「木造彩色役行者倚像」です。なお、役行者像は座高116cm、大峯山中の岩にどっしりと腰を下ろした姿が、全国の修験系寺院に祀られている数多い役行者像の中でも、鎌倉彫刻として最も優れてた像とされ、他の役行者像が大峯山中での難行苦行の結果を表した痩身像であるのに比べ、着衣を通しての体の肉付きや顔の表情等もふくよかで、その他に天狗の姿をした「秋葉大権現像」や、大峯山の中興の祖「理源大師像」、白鳳期の推古仏で国重文「金銅釈迦如来坐像」、藤原時代の国重文「木造地蔵菩薩坐像」等も安置し、古書も多数在ります。
 桜本坊「天武天皇夢見の桜」

 「桜本坊」の歴史は大変古く、671年(天智天皇10年)近江の兄天智天皇の元から逃げ出した大海人皇子(おおあまノおうじ、後の天武天皇)は、「桜本坊」の前身、日雄離宮にとどまっていた時、桜が咲き誇っている夢を見ました。そこで、役行者の高弟日雄角乗(ひのおノかくじょう)に占わせると「桜の花は花の王と云われています。これは、皇子が必ず皇位に着く知らせです」と答えました。後に壬申の乱に勝ち皇位に着いた天武天皇は、日雄角乗に命じて桜の花が咲いていた所にお寺を建立し、勅願寺として名を「桜本坊」としました。写真が「天武天皇夢見の桜」で、境内には、樹齢350年のギンモクセイも在ります。




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