飛鳥  その3−2
 飛鳥の謎の石、「マラ石」

 「坂田寺址」からまた県道15号桜井明日香吉野線へ下りて、更に県道を渡って西側へ向うと、道の脇に「マラ石」が置かれています。これも明日香村にある謎の石造物の1つで、「マラ」とは、「オチンチン」の事で、写真の様に右の先端に裂け目があり、すなわち、見てお判りのように男性器を模した石で、本来は勢い良く真っ直ぐ垂直に立っていたと云われていますが、近頃は、歳をとったのか勢いが衰え、斜め約45度で西を向いています。なお、地元では、飛鳥川を挟んだ西の対岸にある丘陵を「フグリ山」と呼び、フグリとは、もっこりとしたキン玉の事で、「マラ石」と一対のものと考えられ、子孫繁栄や農耕信仰の遺物です。
 国史跡「飛鳥稲淵宮殿跡」

 また、「マラ石」から更に「飛鳥川」を渡って西へ向うと、川の直ぐ側に「飛鳥稲淵宮殿跡」と彫られた石碑が建っています。昭和52年に発見された遺跡ですが、これまでに四棟の掘立柱の建物跡が見つかり、前後に並ぶ二棟の主殿舎を中心にして、その東側に棟をそろえた二棟の脇殿を配置していました。正殿は、四面に庇(ひさし)をもった重厚な建物で、推定規模は正面が24.6m、奥行10.2mあり、後殿と脇殿も正面側に庇を設け、各建物の中庭には大形の玉石を敷き詰める、きわめて整った一面を構成しており、なお、まだ未調査ですが、正殿の西側にも対応する脇殿や南側に延びる関連の施設が予想されております。
 「祝戸(いわいど)地区公園」西展望台より

 なお、「飛鳥稲淵宮殿跡」は出土遺物等から7世紀後半頃に造営された事が判っており、川の段丘の上に立地していること、遺構が良くまとまっていること、などの点で明日香村の数多い宮殿遺跡の中でも特異な遺跡で、653年(白雉4年)中大兄皇子(第38代天智天皇)が難波に第36代孝徳天皇を置き去りにして、天皇の妃である自分の妹間人(はしひと)皇后や母の皇極上皇、大海人皇子らと供に明日香に戻って、一時期営んだ「河辺行宮(かわべノかりノみや)跡」ではないかと云われていますが、確証はありません。また、「飛鳥稲淵宮殿跡」の後ろに見える山が、通称ミワ山、フグリ山で、麓に研修宿泊施設「祝戸荘」があり、山頂の東西にある展望台から飛鳥が一望です。



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