御所市、「巨勢の道」  その4
 役ノ小角たらいの森

 「水平社博物館」からバス停「東寺田」よりも少し西へ戻り、左へ曲がって南へ向かい、JR和歌山線の踏切を渡ると、御所市玉手に「役ノ小角たらいの森」があります。修験道の開祖、役ノ小角(役行者)神変大菩薩が、第34代舒明天皇6年(634年)茅原山「吉祥草寺」で生まれた時に使用した「たらい」を埋めた所で、里人の間では安産祈願の塚として崇敬信仰篤く、なお、葬送の時には塚の前を通る事を忌み禁じられています。また、毎年1月14日「吉祥草寺」で行われる重要無形民俗文化財「左義長(さぎちょう、トンド)」で燃やされる高さ7m、重さ1トンの雄雌一対の大松明の雄は、玉手地区から奉納しています。
 孝安(こうあん)天皇玉手丘上陵

 また、「役ノ小角たらいの森」から更に南へ行き、満願寺川の「玉手橋」を渡ると、直ぐ「玉手山」で、山上に第6代孝安天皇の御陵、「玉手丘上陵」があります。孝安天皇は、第5代孝昭(こうしょう)天皇の第二皇子で、名前を日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとノみこと)と云います。なお、御陵から西を見ると、道路の向こうに県立「御所工業高等学校」があり、校内の敷地は「玉手遺跡」で、校門を入った右手に小さな「資料館」が建っています。またその直ぐ南側の集落が、御所市池之内(いけのうち)で、古代の掖上(わきがみ)池の跡と云われ、「孝昭天皇掖上池心(いけこころ)宮跡」とされています。
 掖上鑵子塚(わきがみかんすづか)古墳

 「孝安天皇玉手丘上陵」から東へ行き、「秋津鴻池病院」の横を通って、「須坂」の峠を越すと、二股になった道の目の前に「掖上鑵子塚古墳」があります。御所市の東部に位置し、国見山から北へ延びる丘陵の谷間に築かれ、前方部を南西に向けた前方後円墳で、全長約150m、前方部の幅88m、高さ12m、後円部の径102m、高さ17.5mで、後円部の径に対して前方部の長さが半分と短く、帆立形古墳に近い形態をもち、前方部は二段、後円部は三段に築成されて、墳丘の周囲に幅30mほどの周濠が巡り、墳丘に葺石と、冠帽形・冑形・水鳥形・家形・太刀形の各種形象埴輪が確認され、5世紀後半の築成と見られる。


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