御所市、「巨勢の道」  その5
 国見山(標高229.4m)

 「掖上鑵子塚古墳」から東へ行くと、JR和歌山線「掖上駅」ですが、また西へ戻り、「秋津鴻池病院」の南側を進み、「市民グランド」の脇をかすめて南へ行くと、東にちょっと容姿の良い「国見山」が見えて来ます。山に向かって上がると「天海池」がありますが、「国見山」は、神武天皇31年4月1日掖上巡幸で、天皇が登って国見をした「ホホ間(ま)の丘」で

 「なんと素晴らしい国を得たことだ。狭い国では あるけれども、蜻蛉(あきつ、トンボ)がトナメ (交尾)をしている様に山々が連なり囲んでいる 国だ」と、秋津洲に因む感想を述べられました。
 日本武(やまとたける)尊の白鳥陵

 「天海池」から下りて、また南へ向うと、御所市富田の集落で、ちょっと東側の国見山へ上がると「日本武尊白鳥陵」があります。三重県亀山市「能褒野(のぼの)陵」、大阪府羽曳野市古市の「白鳥陵」と共に「白鳥三陵(しらとりさんりょう)」と称され、その昔、景行天皇の皇子・日本武尊が東国を平定して大和へ帰る途中、草薙剣(くさなぎノつるぎ)を持たずに「伊吹山」の神と戦って亡くなり、白鳥になって、三重県の能褒野からここ富田の琴弾原(ことびきはら)へ飛んで一時留まり、そして、再び飛び去って河内国の旧市邑(ふるいちむら)へ舞い降り、その後、再び飛び去り、西方の空高く飛んで行ったと云う事です。
 国史跡「宮山(みややま)古墳」

 「日本武尊白鳥陵」から下りて、国道309号線を西へ向うと、国道の左(南)側に「宮山古墳」が見えて来ます。室の大墓と云われ、大和西南部平野変換線上に造られた前方後円墳で、丘尾切断による墳丘は、三段築成で、全長238m、前方部幅110m、高さ22m、後円部径105m、高さ25m、北側くびれ部に方形の造り出しをもち、南側には自然地形を利用した周濠があり、明治年間に前方部から木棺と、鏡が11面、更に多数の玉類が出土し、武内宿弥の墓と伝えられ、昭和25年発掘調査で竪穴式石室内に六区の方形を刻した長持形組合式石棺が確認され、封土上に石室を囲って円筒埴輪と蓋形埴輪が立っていました。


奈良観光表紙に戻る  御所市、「巨勢の道」周辺図を開く  前のページに戻る   次のページに進む