宇陀市榛原から菟田野辺り  その1
 宇太水分神社(TEL 0745-82-0868)

 近鉄大阪線「榛原駅」から南へ向い、「宇陀川」の「丹切橋」を渡り、川沿いに西へ行き、南の「萩乃里団地」を抜けて、「舟形山」へ上がると、「宇太水分(うたみくまり)神社」が鎮座しています。当社は延喜式神明帳にある大和四水分神(葛城、都祁、吉野)の1つで、「玉岡水分神社」とも称して、玉岡水分大明神は水門神速秋津彦神の第5子です。創祀は古く、806年(大同元年)大和国に神封一戸を寄せられ、859年(貞観元年)9月8日風雨の祈願で、勅使を遣わされて幣を奉り、本殿は神明造ですが、明治初期までは本殿を始め附属の建物はすべて春日造で、明治11年に県社の指定を受けて、今の様になりました。
 「八咫烏(やたがらす)神社」の拝殿

 「宇陀水分神社」の長い参道から鳥居を潜って坂を右(西)へ下り、県道31号榛原宇陀野御杖線を芳野川(よしのがわ)沿いに南へ辿ると、バス停「高塚」の西に「八咫烏神社」が鎮座しています。祭神は3本足の八咫烏(武角身命、たけつぬみノみこと)です。神武天皇が日向(宮崎県)から東征の時、皇軍を熊野から大和まで道案内し、その功績を讃えて、705年(慶雲2年)9月第40代天武天皇が武角身命を祭神として、鳥居越しに伊那佐山の見える当地へ「八咫烏神社」を創建して祀りました。なお、山城国(京都)の下賀茂神社は、武角身命の苗裔(びょうえい)で、故に両社の神紋は共に葵(あおい)とされています。
 榛原町高塚の「高塚遺跡」

 「八咫烏神社」の「二の鳥居」をくぐって真っ直ぐ東へ出て、小さな「禊川」に架かる朱色の「葵橋」を渡り、また「一の鳥居」をくぐり「県道31号線」を南へ行くと、バス停「高塚」の直ぐ先、四つ角の南西角にこんもりとした「高塚遺跡」があります。ここは昭和12年道路工事によって、多くの弥生式土器、石器、木製品などが出土し、大字名から「高塚遺跡」と呼ばれるようになりました。昭和46年以降の発掘調査では、溝や穴、弥生式土器、ガラス玉、銅鏃(どうぞく)、木製品(脚付盤、木包丁)、古式土師器、須恵器、土師器などが見つかり、これまでの調査結果等から約1500年前頃の集落跡と考えられています。




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