斑鳩

法隆寺
    その5

  法隆寺「東院伽藍」境内図
  (図をクリックすれば、大きくなります。)
 東院伽藍の中心、国宝「夢殿」

 東院伽藍の四脚門を入って直ぐに廻廊が在り、そこを入ると「夢殿」です。739年(天平11年)高僧の行信(ぎょうしん)僧都が聖徳太子の遺徳を偲んで斑鳩宮跡に飛鳥時代の形式で建立した上宮王院(じょうぐうおういん)の1つ、二重基壇の上に建った八角の殿堂として我が国最古の建物で、元は「仏殿」と呼ばれたが、平安時代頃から「夢殿」と呼ばれ、秘仏の国宝「救世観音像」は八角円堂の中央の厨子に安置、古来より聖徳太子が衆生済度の為、仮にこの世に姿を現した観音菩薩の化身と言う信仰に基ずいた太子等身の御像で、長く開扉されなかったが、明治17年フェノロサが白布を解いてから、春と秋に開扉されます。
 「夢殿」の北東角にある「枝垂れ桜」

 「夢殿」の秘仏、国宝「救世観音像」の開扉は毎年4月11日〜5月5日(祝)と10月22日 〜11月22日で、特に4月10日頃、八角円堂より見て、北東の角に植わる「枝垂れ桜」が満開に成ります。また、「夢殿」には秘仏でない聖観音菩薩像(しょうかんのんぼさつぞう、平安時代)、聖徳太子の孝養像(こうようぞう、鎌倉時代)、ほこりで真っ白けになった乾漆の行信僧都像(ぎょうしんそうずぞう、奈良時代)、平安時代に夢殿を修理された道詮律師(どうぜんりっし)の塑像(平安時代)なども秘仏の廻りに安置されていますが、これらの仏像は拝観料200円出したら何時でも常時拝観することが出来ます。

 東院伽藍の「表門」と「本堂の屋根」

 法隆寺の東院伽藍に在る袴腰(はかまごし)の建物の中に、国宝の「東院鐘楼」が吊され、その横を通り抜けると、直ぐ右に国宝の「伝法堂」が在ります。写真は「伝法堂」を背にして、東院伽藍の北に在る重要文化財指定建造物の「表門」を写したもので、残念ながら中には入れませんが、築地塀越しにやはり重要文化財指定建造物で有る「本堂」の茅葺屋根が見えています。なお、写真に写っていませんが、「本堂」の左(西)隣にはやはり重要文化財指定建造物「太子殿」が在り、築地塀の前に立てられた表示板にも矢印付きで書かれていますが、「表門」の前を通って、お隣の旧斑鳩御所の「中宮寺」へ行くことが出来ます。





中宮寺 (TEL 0745−75−2106)


1.最寄駅
JR大和路線法隆寺駅から北へ真っ直ぐ1.5キロ、徒歩20分。
または近鉄橿原線近鉄郡山駅から法隆寺前行バスに乗車して、「中宮寺」で下車。


2.沿革
 法隆寺の東院伽藍に接し東隣の「中宮寺」は、聖徳太子の母穴穂部間人皇女(あなほべノはしひと、第31代用明天皇の皇后)の御願によって、太子が西の法隆寺と対照的な位置に、太子の宮居斑鳩宮を中央にして創建された、聖徳太子建立七カ寺の1つですが、創建当時の旧地は、現在の「中宮寺」東方3丁(約550m)の所に土壇が残って居り、昭和38年などになされた発掘調査で南に塔跡、 北に金堂跡が確認され、四天王寺式配置伽藍であった事が判りました。創立年代については諸説あるけど、飛鳥時代の瓦が多数出土しているので、飛鳥時代建立と考えられ、それも飛鳥の向原寺(桜井尼寺)と同系統の瓦で、中宮寺も創建当初から尼寺であった事を伺わせます。その後、平安時代には寺運衰退してましたが、鎌倉時代に興福寺の信如尼(しんにょに)が来住して、荒廃した寺を復興し、1274年(文永11年)法隆寺の国宝「綱封蔵」から飛鳥時代に作られた国宝の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅちょう)を発見しました。また、1510年頃(永正年間)寺地が現在地に移されたらしく、1540年頃(天文年間)伏見宮貞敦(さだあつ)親王の皇女尊智女王(そんちノおおきみ)が入寺され、以後は皇女が入寺する門跡寺院になり、中宮寺御所または斑鳩御所と呼ばれています。

3.みどころ
 旧斑鳩御所、中宮寺の「新本堂」

 写真は、高松宮妃殿下発願により、吉田五十八先生が設計して、昭和43年5月に落慶の中宮寺 「新本堂」です。堂内には、飛鳥時代に造られ、国宝でご本尊の弥勒菩薩半跏像が安置され、謎のアルカイックスマイル(古典的微笑)は、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと共に「世界の三微笑像」の1つです。 また、622年(推古天皇30年)享年48歳で亡くなられた聖徳太子を偲んで、御妃の橘大郎女(たちばなノおおいらつめ)が、太子の往生した天寿国の有様を刺繍させたと云われる日本最古の刺繍、国宝の「天寿国繍帳」の複製品も展示されていますが、冬場の拝観は、16:00迄です。
 国史跡「中宮寺跡」

 「中宮寺」からまた法隆寺の「東院伽藍」を出て、「夢殿」の「南門」前を通って、東へ向い、県道9号奈良大和郡山斑鳩線へ出たら、北へ向うと、右(東)側の畑の中に「中宮寺跡」が見えて来ます。ここは、室町時代に現在地(西方550m)へ移転するまでの「中宮寺」があった所で、聖徳太子が母の穴穂部間人皇后の宮室を寺院にした、聖徳太子創建七ヶ寺の1つ「中宮尼寺(ちゅうぐうにじ)」に比定されて、飛鳥時代創建の法隆寺若草伽藍とほぼ同時期に建立され、斑鳩地域において最古の寺院で、上宮王家(じょうぐうおうけ)と結びつきが深く、寺域は東西128m、南北165mと推定し、西側に古道も検出しました。




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