斑鳩  (その4)

龍田川と三室山
 龍田川の「どうやまばし」と「もみじばし」

 「仙光寺」から西へ300m行くと、「竜田川」に至り、川沿いに下流へ辿ると、2つ目の橋が国道25号線の「竜田大橋」、橋の西岸がバス停「竜田大橋」です。JR大和路線又は近鉄生駒線の「王寺駅」から法隆寺、郡山、奈良方面行のバスが止まります。「花小路せせらぎの道」に沿って、真下を流れる竜田川は大阪府東部と奈良県北部の府県境に源を発し、生駒山地と矢田丘陵に挟まれた生駒谷、平群(へぐり)谷の峡谷を流れ来て、斑鳩町で大和川に注いでいます。なお、現在「竜田川」と呼ばれている川は、古くには「平群川」と呼び、古歌に詠まれた「竜田川」は今の「大和川」を指し、その場所は「亀ノ瀬」辺りです。

 龍田川の「紅葉(もみじ)」

 龍田川の紅葉は、第10代・崇神(すじん)天皇が龍田明神へ行幸された時、五穀豊穣を祈って上流より流れて来た八葉の楓(かえで)葉を龍田の神様に献上しました。また後、文武(もんむ)天皇も行幸の時、紅葉を見て大変感動されました。それ以来、龍田川は紅葉の名所として天下に知られ、紅葉と云えば龍田川とまで連想される様になりました。持統、文武、平城の各天皇を始め、平安時代の歌人によって紅葉を詠みもてはやされ、昔の和歌集に数多く詠まれています。江戸時代には、並松(なんまつ)在住の国学者藤門周斎が地元の人々と共に、増殖・保護に努め、その成果により、より一層紅葉の名所として知れ渡りました。
 「竜田川緑地」と「三室山」の桜

 竜田大橋を挟んで上下 1.4キロが「竜田川緑地」です。春は桜、秋は紅葉の名所として知られ、竜田大橋から約1キロ下った西岸の丘が紅葉より桜で知られ、昭和33年県立公園に指定の「三室山」です。山頂に能因(のういん)法師の五輪塔が在り、彼は橘諸兄の末裔で、平安中期の人、26歳の時に出家し、漂泊の旅で一生を送り、中古三十六歌仙の一人、1049年(永承4年)後冷泉天皇の宮中の歌会で詠み、「後拾遺集巻5」「小倉百人一首」に載っている彼の歌は、

 嵐ふく 三室(みむろ)の山のもみじ葉は
 竜田の川の錦なりけり   百人一首69
 「三室山」の満開の桜

 「三室山」は、龍田川と大和川の合流地点に近く、標高約82mの丘で、県立竜田公園の一部に含まれ、桜の名所として知られています。古くは「みむろ」、「神南備(かんなび)」は神の居られた場所で、聖徳太子が斑鳩の宮へ移られた時、飛鳥の神南備も「三室山」へ移されました。また、在原業平も麓の道を天理から河内の高安まで通い、下方の神南(かんなん)の集落の三室堂に住んでいた能因法師も、「三室山」へしばしば遊びに来たそうです。彼は、988年(永延 2年)に生まれ、26歳頃出家し、甲斐、陸奥、伊予等の各地を旅して、独自の歌境を深める一方、皇族方などの歌合わせにも出詠し、65歳で没しています。




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