「笠置山」  その1

 笠置山(標高290m)を背景にした「笠置産業振興会館」

 JR関西線「笠置駅」の東に見える山が「笠置山」で、「笠置寺縁起」によると、天武天皇がまだ大海人皇子の頃、ある日この辺りに狩猟に来て、獲物を追い山頂の岩の上に駈け登った時、突然大鹿が現れ、馬が驚きたじろぐと、眼下は千尋の谷で、進退きわまった皇子が、弥勒に祈念してあやうく危機を逃れました。そこで皇子は、後日の目印に岩上に笠を置いて帰り、後に訪れて笠を探していると、上空に一羽の白鷺が舞い、それに導かれて、笠の置かれた岩に至り、そこでその岩を笠置(かさぎ)石、山を鹿鷺(かさぎ)山と称し、巨岩に弥勒像を彫って報謝の意を表し、伽藍を建立したのが、現在の「笠置山」と云われています。
 「JR笠置駅」前の「栗栖(くるす)天満宮」

 JR笠置駅の真ん前に1331年(元弘元年)9月「元弘の乱」で活躍した三河国の住人、足助次郎重範と、奈良般若寺の本性房という律僧が奮戦している像があり、その後ろを廻って128段の石段を登ると、「栗栖天満宮」があります。900年頃(昌泰年間)第60代醍醐天皇が笠置に行幸し、右大臣菅原道真も従って、ここへ居を定めたいと願い出たが、その後、筑紫へ流された道真が、自らの姿を彫刻し、この地の筒井喜久治へ送ると、仮殿を設けて敬われ、930年(承平元年)2月道真は天神となって、ここに鎮座しました。なお、毎年10月第2土・日が「秋まつり」で、「流鏑馬(やぶさめ)舞台相撲」が行われます。
 天然わかさぎ温泉「笠置いこいの館」と「笠置山」

 また、JR「笠置駅」から東へ向かって、直ぐ右へ曲がり、南へ150m行って「白砂川」の「白鷺橋」を渡ると、日帰り温泉の「笠置いこいの館」があり、入浴料金1000円で、午前10時〜午後10時までやっており、休館日は、第1・第3水曜日(ただし、その日が祝日の場合は、その翌日)と12月31日、1月1日です。湯は32.2度の源泉を少し加熱した天然温泉で、有効成分がバランス良く溶け込んだ湯に体を浸すと、疲れがじわっと癒され、なお、付帯設備として、大食堂、喫茶、レストラン、レストルーム、貸室、カラオケ設備、テニスコート、グランドがありますが、宿泊はできず、町内の各旅館とセットです。
 「白砂川」の「大手橋」から「木津川」を見る

 JR笠置駅の東隣に「笠置産業振興会館」があり、館内に笠置山のことを色々と説明されてたり、また、「笠置町ハイキングマップ」も置いているから貰って行かれると、笠置山へ登ったり、木津川の周辺を散策するのに便利です。「笠置産業振興会館」を出て南へ行くと「笠置温泉(TEL0743-95-2892)」があります。東へ行くと、直ぐ「白砂川」に架かる「大手橋」で、北にJR関西線の鉄橋が見え、その先に「木津川」と「笠置大橋」も見えます。なお、欄干に「大手橋」の由来が書かれていますが、鎌倉時代末期、1331年(元弘元年)笠置山一帯が「元弘の変」の兵火で包まれた時、この辺りに笠置山城の大手門がありました。
 「元弘の変」の「一の木戸跡」

 「大手橋」を渡って、三叉路に突き当たったら右へ曲がり、南へ少し行くと「笠置山」への登山口があり車でも登れますけど、車道から右脇にそれて「史の道コース」を登り、途中また車道へ出た所が「一の木戸跡」です。1331年(元弘元年)8月27日、政治改革に失敗した後醍醐天皇が2千5百の兵と供に立て籠もり、同年9月鎌倉方北条幕府7万5千が包囲するも、笠置山は全山が巨岩、怪石で覆われた天然の要塞で、攻撃を仕掛けた幕府軍が一の木戸「仁王門」前で天皇方を見上げると、上から三河国の足助次郎重範が十三束三伏(約160cm)の強弓で矢を放ち、荒尾九郎、弥五郎の兄弟を射殺して戦端が開かれました。




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