「笠置山」  その2

 笠置寺(TEL 0743-95-2849)

 「一の木戸跡」から坂を登ると、真言宗智山派鹿鷺山「笠置寺」の山門です。当山は、天智天皇の皇子・大友皇子が狩に来て、霧で道に迷い、山の神を念じたら、危難を免れ、後日の為、岩上に藺笠を置いたので「笠置」と云い、寺は天武天皇の開基で、後に東大寺の良弁や実忠が参籠して、整備され、古来大峯山の代行地で北芳野と称し、藤原道長も詣でて、1052年(永承7年)以後、末法思想で本尊「弥勒大磨崖仏」が天人彫刻仏として崇められ、1191年(建久2年)解脱上人(藤原貞慶)が日本の宗教改革を当寺から広め、弥勒信仰の全盛を極めたが、1331年(元弘元年)「元弘の変」で焼失し、室町時代に復興され、
 笠置寺の重要文化財「解脱鐘」

 「笠置寺」の山門を入ると、直ぐ目の前に復元された「笠置型燈籠」が建っています。平安時代に笠置寺の参道に建てられていたと伝える記述書がありますが現存するものは一基もなく、大正時代愛知県岡崎市の石材業者組合が発行した本に「こけし」の様な形式や寸法が載っています。その左隣には「本尊仏香炉」が置かれ、室町時代のものですが、江戸時代には手洗鉢として転用されていたほど特別大きな石の香炉です。更に奥へ進むと突き当たりに「解脱鐘」があります。中国形式の鐘で、基底部が6つに切り込まれた意匠は日本に1つしかなく、1195年(建久7年)東大寺俊乗坊重源作で、重源和尚が解脱上人に与えました。
 笠置寺の鎮守「椿本護王宮」

 「解脱鐘」の所で右へ曲がって進むと、また突き当たりに笠置山の有料入山入口があり、その左脇の奧に笠置寺の鎮守「椿本護王宮」が鎮座しています。祭神は、椿本護法善神で、平安時代908年(延喜8年)日蔵上人により吉野金峯山から勧請したものと伝え、向拝の虹梁の木鼻、海老虹梁の木鼻の渦絵様を単円でなく、一、二回折って変化をつける等、安土桃山時代に豊臣氏が寺社建築の再興に用いた手法をセットで用いているので、創建時の社が鎌倉時代「元弘の変」で焼失したのを安土桃山時代に再建したものと推定されます。なお、寺蔵文書は未だ発見されていませんが、本堂等と共に豊臣氏の再興の可能性を秘めています。




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