「香芝市」から 「王寺町」辺り  その7

 顯宗(けんそう)天皇傍丘磐坏丘南陵

 「関屋あしびハイツ」の南下を通る「初瀬街道」を東へ約1.6キロ進むと、国道168号線の手前で、南北に走る旧道に沿って「顯宗天皇陵」に至ります。宮内庁指定の陵域は、約4326平方メートル、西南角に拝所があり、元は3基の陪塚があったと云われていますが、現在その所在は不明です。なお、第23代顕宗天皇は、第24代仁賢(にんけん)天皇の弟で、父市辺押磐(いちノべノおしは)皇子が皇位をめぐる争いで第21代雄略天皇に殺されたので、兄と播磨国縮見屯倉(しじみノみやけ)に逃げ、やがて雄略が死に、その子第22代清寧(せいねい)天皇の後、世継ぎがなく、見つけ出されて兄より先に即位しました。
 志都美神社(TEL 0745-77-5069)

 「顕宗天皇陵」から真っ直ぐ国道168号線を北へ約1キロ行って、志都美交番の角を左へ折れ、西へ入って行くと「志都美(しづみ)神社」が鎮座しています。境内に清水がこんこんと湧き出ていた所から名付られ、平安時代の延喜式に載っている式内社で、武烈天皇陵に比定される丘の南東にあり、境内の社叢は、県の天然記念物に指定され、本殿は三間社流造、銅板葺で、祭神は、天児屋根命、誉田別之命、底筒之男命の3柱を祀り、江戸時代中期の建立と考えられ、江戸時代の「大和志」「大和名所図絵」に「志都美八幡」と記され、境内に享保12年(1727年)銘の石灯籠と明和4年(1767年)銘の手水鉢があります。
 武烈(ぶれつ)天皇傍丘磐坏丘北陵

 「志都美神社」からちょっと東へ戻って、国道まで出ず、旧道を北へ向かうと、左奧に「武烈天皇陵」が見えて来ます。ここも宮内庁が管理する陵で、墳丘の形は、自然の地形をそのまま生かした様な形で、拝所と墳丘の間にある濠は、墳丘の前面にある一部分だけです。なお、第25代武烈(ぶれつ)天皇は、相当な暴君で、妊婦の腹を割いて胎児の形を見たとか、人のなま爪を剥いで芋を掘らせたとか、人を木に登らせ、弓で射落としたとか、人を池の樋(ひ)に押し入れ、外に流れ出るのを矛で刺し殺したとか、裸の女と馬を交接させたとか色々云われているが、法律に明るく、無実の者には、公平な裁判でその罪を晴らしたとか。




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