「香芝市」から 「王寺町」辺り  その8

 今もあります「谷田(たんだ)の椿」

 「武烈天皇陵」から北へ行って、西名阪自動車道の下をくぐり、香芝インターの出入り口を左に見て、北西へ向かい、平野川沿いに進んで集落の外へ出ると、「谷田の椿」が植わっています。昔はこの辺り「平野千軒」と云われ、椿の植わった庄屋に1人娘がいて、誰も娘の顔を見た者がいなかったけど、庄屋に医者が出入りするので、娘が病でないかと噂をしていると、椿が枯れだして、不吉なので椿を切り倒すと、千軒の家でも1人死に、2人死にして、村が衰え消え果て、それからどれほど年月を経たか知らないけど、谷道の田圃の畔に枯れた椿の孫椿が芽を吹きました。それが今の「たんだの椿」で、折ると腹痛になるそうです。
 市指定文化財「石造線刻阿弥陀如来坐像」

 「谷田の椿」を右に見ながら、そのまま西へ進んで「辰池」の方へちょっと行き、直ぐ右へ右へと廻って東へ向かい「平野公民館」の方へ行くと、左手の奧へ上がった所がコンクリートの民家風の「正楽寺」で、本堂に向かって左に「阿弥陀如来坐像」が安置され、総高177cm、像高125.5cm、古墳の石棺材を利用したと思われる板状の凝灰岩に線刻され、両手は親指と人差し指の先を付けて丸を作る上品上生印、脚はあぐらを組む結跏趺坐(けっかふざ)で、蓮華坐(れんげざ)に座っている姿で浅く彫られています。年号は記されていませんが、繊細な造形とおおらかな曲線の表現に平安時代後期頃の作風を残しています。
 国指定史跡「平野塚穴山古墳」

 「阿弥陀如来坐像」の横を上がった背後が「平野塚穴山古墳」で、一辺21m、高さ4m弱の「方墳」と推定されています。墳丘は、丘陵の南斜面に造られ、南へ開口して全長4.47m、玄室長3.05m、幅1.5m、高さが1.762mの石槨(せっかく)をもち、遺物は殆どが盗掘され、わずかに漆塗籠棺片、金環等が出土し、石槨の規模や構造等から7世紀後半〜末頃に築かれたものと考えられ、飛鳥時代の貴重な古墳で、昭和49年に国史跡の指定を受けています。なお、江戸時代には、顕宗(けんそう)天皇陵と考えられていましたけど、現在では、茅渟王(孝徳天皇と皇極天皇の父)の墓ではないかとも云われています。




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