河合町から、かぐや姫の里・広陵町へ  その2

 大塚山古墳群の1つ「城山古墳」

 「廣瀬神社」から南西に500mほど行くと、川合集落の東端に「城山古墳」があります。全長109mで、南面する前方後円墳です。濠は畑になっていて、おまけに古墳上も所々が写真の様に耕されています。なお、ここから500mほど南西に「大塚山古墳」があり、その他にもここら辺りに計8基の古墳があり、それらを総称し「大塚山古墳群」を形成しています。また「大塚山古墳群」の8基は、いずれも未発掘で、詳しい内容は判りませんが、5世紀の古墳時代中期に造営されたものと推定され、これらの古墳群は、後で示す「馬見丘陵」の北東、標高約40m付近に位置しており、「廣瀬神社」と何らか関係がありそうです。
 国指定史跡「中良塚古墳」

 「城山古墳」の西約300mの所に「丸山古墳」があり、更に大通りを渡って西へ約300m行った所に「中良塚(なからづか、高山塚1号)古墳」があり、前方部を北に向けた前方後円墳で、全長88m、後円部直径48m、後円部高6.5m、前方部幅50m、前方部高6.5mです。墳丘は二段築成で、テラスに円筒埴輪列が巡り、斜面部には葺石が施され、墳丘の周囲に周濠が巡り、更に外側には外堤が巡っていたと考えられ、埋葬施設は不明ですが、粘土槨があったと思われ、出土遺物として円筒埴輪の他に朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪、蓋(きぬがさ)形埴輪および須恵器があり、5世紀後半の築造と推定されています。
 国指定史跡「川合(かわい)大塚山古墳」

 「中良塚古墳」の西に高山2、3、4号墳があり、更に大通りを夾み南東に「川合大塚山古墳」があって前方部を南に向ける大型の前方後円墳で、全長215(195)m、後円部径108m、前方部幅123mです。墳丘は三段に築成され、円筒埴輪が並べられ、斜面に葺石が葺かれていたと思われています。また、埋葬施設は縦穴式石室と考えられていますが、詳しい事は何も判っておりません。なお、墳丘の周囲に盾形周濠の痕跡をよく残していますが、現在は写真の様な田畑で、また、墳丘の形や埴輪から、5世紀中頃から後半にかけての築造であると推定されていますが、同時期の古墳としては、奈良県下で最大級の古墳です。




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