山の辺の道  その15

 竹之内の溜池から見た「奈良盆地」

 「大和は国のまほろば ただなづく青垣 山隠(やまごも)れる大和し 美(うる)わし」と日本武尊が古事記で詠っていますが、「山の辺の道」は、「大和青垣国定公園」に指定された青垣の裾野を縫うように通って、東海自然歩道(大阪の箕面〜東京の高尾まで1376キロ)の一部でも有りますが、遠くに見える生駒山地や矢田兵稜、二上山から葛城山の山並が見えても、最も近くの奈良盆地が良く見えません。そこで竹之内の集落から少し南へ歩き、「山の辺の道」からちょっと山側に在る「溜池」まで登ると、写真の様に「生駒山地」「矢田丘陵」から「奈良盆地」が展開し写真には写っていませんが「大和三山」も見えます。
 天理教教祖御誕生殿

 「竹之内環濠集落」から真っ直ぐ西へ進むと、また「山の辺の道」から外れますが、国道169を渡って天理市三昧田(さんまいでん)町の天理教三昧田分教会へ行かれると、その奥まった敷地内に天理教の教祖(おやさま)中山みきさんの生家誕生殿が在ります。中山みきさんは1798年(寛政10年)4月18日ほのぼのと夜のあける頃、当時は伊勢の国津藩主藤堂和泉守の領地、西三昧田の前川家に生まれ、当時の戸主、前川半七正信は藤堂藩から無足人の待遇を受け、名字帯刀も許され、大庄屋を勤めていました。なお、教祖御誕生の場所は、写真の大和造りの中に在る仏間(後に神床となる)の裏側で、三畳半のお部屋です。
 大和神社(TEL 0743-66-0044)

 「天理教教祖の御生家」から南へJR長柄駅の方へ歩いて行くと、こんもりとした森の中に大和大明神、日本最古の神社「大和(おおやまと)神社」が在り、祭神は、日本大国魂大神(やまとおおくにたまノおおかみ)またの名を大地主(おおとこぬし)大神、八千戈大神(やちほこノおおかみ)、御年(みとし)大神の3神で、主神は崇神天皇6年まで皇居内に祭られていた日本の大地主神の大和大明神で、交易、農工業、商業、産業の啓発と繁栄を司って、四海平穏に、国内諸業を発展させ、国民をお守り下さる御神徳は、伊勢神宮に次ぎますが、昔は遣唐使に御守護を賜り、万葉集に「好去好来之詩」として数多く詠われています。
 大和古墳群の1つ「馬口山古墳」

 大和神社の大鳥居の北側に池があって、鯉の稚魚の様な金魚がうじゃうじゃ泳いでいます。池の更に北側がちょっとした小山で「馬口山(ばくちやま)古墳」です。大和神社の周辺は、奈良県下でも有数の古墳が大小数十個もあり、「大和(おおやまと)古墳群」と呼ばれ、「馬口山古墳」もその1つです。それ程規模は大きくありませんが、全長110mの前方後円墳、造られた年代は、3世紀後半で、古墳時代初期と推定されています。また、墳丘の上から特殊器台型埴輪の破片が採取されていますが、埴輪(はにわ)の起源に関わる年代の古墳として知られています。なお、大和神社の前が「上ツ道」で、南側にも古墳があります。




奈良観光表紙に戻る  山の辺の道散策図を開く  前のページに戻る   次のページに進む