山の辺の道  その16

 元官弊大社「大和神社の拝殿」

 「大和神社」へJR桜井線の長柄(ながら)駅から行かれる時は、駅より東(山の方)へ真っ直ぐ歩き、「大和神社、すぐ南一丁」と書かれた表示柱に従って右(南)へ曲がり、集落の中の細い道を通り抜けると目の前に長い大和神社の森が横たわり、そこへ入って行くと、直ぐ本殿の前へ出ます。「大和神社」は古代大和朝廷の守護神で、第10代崇神天皇の時、皇居に祀られていた天照大御神と大和大国魂大神(大地主大神)の神威を恐れ、2神を皇居外へ祀るため皇女渟名城入姫(ぬなきいりひめ)を斎王にし、大地主大神を市磯邑に祀らせたけど、姫がやせ衰えたので市磯長尾市(いちしのながおいち)を祭主にして祀りました。
 大和神社の末社「祖霊(それい)社」

 「大和神社」は、元官弊大社で、日本最古にして、陸海空の交通、土木関係の安全を守護し、かって大東亜戦中は日本の国運を賭けて呉で建造された戦艦大和にも当社の分霊が祀られ、帰還の度毎に艦長幕僚らの特別参拝が有りましたが、大和は昭和20年4月7日沖縄特攻突入「菊水」作戦の途上、九州西南洋上で敵艦載機の猛爆撃により撃沈され、乗員総数3332名の内、司令長官伊藤整中将以下3063名が戦死、更に大和と運命を共にした軽巡矢矧(やはぎ)及び駆逐艦8隻の戦没将士の英霊と合祀されて、総計3721柱が末社「祖霊社」に祀られ、生き残った駆逐艦4隻の内、「雪風」は戦後台湾海軍の旗艦になりました。
 大和神社の「白孔雀」

 大和神社の末社「祖霊社」と相対する境内の片隅に鶏舎が在って、鶏と2羽の孔雀が飼われていますが、1羽は真っ白い孔雀で、時々境内を我が物顔に散歩をしています。所で、大和地方では「祭り始めはちゃんちゃん祭り、祭り納めはおん祭り」と云われ「ちゃんちゃん祭り」は毎年4月1日「大和神社」で行われ、当日神輿が本殿前から長い境内を通って鳥居をくぐり「山の辺の道」沿いに在る末社大和稚宮神社(やまとわかみやじんじゃ、御旅所)まで渡ります。その際、馬に乗られた神主や、氏子も多数同道して長い行列をつくり、ドラの様な鉦(かね)を「ちゃんちゃん」と鳴らすので、その祭りが「ちゃんちゃん祭り」です。
 「上街道」沿い「矢矧塚(やはぎづか)古墳」

 「大和(おおやまと)神社」の鳥居をくぐって出た所が、南北に延びる「上ツ道」で、奈良の「猿沢池」から「桜井」へ至る7世紀頃の古道です。近世の「上街道(かみかいどう)」でもあり、南へ向かったら、桜井の「安倍山田道」から「明日香」へ通じており、また、桜井では「初瀬街道」と交わり、平安時代以降「初瀬詣」で賑わい、「長谷寺」から更に東に行くと「伊勢道」へつながっています。また、鳥居の前からちょっと南へ行った道の右(西)側に「矢矧塚古墳」があります。全長102m、前方部幅40m、後円部直径46m、西南西向きの前方後円墳です。墳丘の上はすっかり削平され、今は柿の木が植わっています。


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