北山の辺の道  その3

 奈良市指定文化財「白亳寺本堂」

 「白亳寺」の本堂は、江戸時代の初めに再興された時の建物ですが、奈良近郊の寺院は中世以降に本堂を再建する際に奈良時代以来の伝統を引き継ぐ例が多く「白亳寺」の本堂も柱間三間の身舎(もや)の四方に庇(ひさし)をまわした「三間四面」の形式を保ち、南都の寺院本堂の復古的な形式を用いた良い1例で、その仕様は桁行五間、梁間五間、向背一間、寄棟造、本瓦葺、背面桟瓦葺です。なお、仏像のほとんどは、本堂の北に建つ宝蔵庫に安置され、ご本尊は国重文で平安時代末期か、または鎌倉時代初期に造られた木造阿弥陀如来座像で、定朝(じょうちょう)様式を踏襲した桧(ひのき)の寄木造で漆箔が施されています。
 「白亳寺」の「宝蔵」

 本堂の後ろ、北側に建つ「宝蔵」に安置されている仏像は、ご本尊の他に脇侍として平安時代作の「木造菩薩座像」、鎌倉時代の「木造地蔵菩薩立像」、また左手正面に大きな冠と中国式の道服を身にまとって笏(しゃく)を持ち、忿怒の形相で睨んでおられるのが「木造閻魔王座像」、右手正面に閻魔王と一対をなす「木造太山王座像」、その隣「木造興正菩薩座像」、いずれも国重文です。また、閻魔王の家来で共に虎の皮を敷いた椅子に腰を掛けて、右手には筆を、左手に約1mの木札を持っているのが「木造司録半跏像」、巻物を広げて誰かの悪行の数々の記録を見ているのが 「木造司命半跏像」で、共々に寄木造の国重文です。

 「白亳寺宝蔵」内の「閻魔王座像」

 「白亳寺」では、毎年1月16日「無病息災えんまもうで」、7月16日「夏のえんまもうで」で、閻魔参りの賽日(さいにち)です。地獄の釜の蓋が開き、亡者が骨休みをし、寺では地獄変相の画を掛けます。昔は藪入りと称し奉公人の休暇でした。なお、閻魔は梵語の Yamaraja の音写「閻魔羅社」の略で、地獄に落ちた死者を支配し、種々の苦しみを与える地獄の王です。起源は古代インドの神マヤで、元天上界にいたが、地下に移って人の命を奪い、死後の世界を支配する恐ろしい神になって、その後仏教に取り入れられ、中国に伝わると道教等と混交して十王思想が生まれ、裁判官である十王の五番に位置する様に成りました。
 「白亳寺」の「五色椿」

 県指定天然記念物、奈良三銘椿の1つ「五色椿」は 1630年頃(寛永年間)に興福寺の喜多院から移植され、樹高約7m、根周り1mで、1本の木に紅白色とりどり16〜22弁の椿が本堂の南方15mの所に咲きます。なお、樹齢約400年で風雪に耐えた五色椿も良いけれど、本堂の東側で一段高い所、「多宝塔跡」の礎石が在る、その南側に有って仏様の額にある白亳相に似た白い点様のぼかしが一カ所あって、薬学博士渡辺武先生が命名された「白亳椿」も見事です。なお、「白亳寺」は秋になると萩の寺として有名ですが、境内からの眺めもまた素晴らしく、遠く金剛山、葛城から、真西に生駒山と矢田丘陵が眺望されます。




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