北山の辺の道  その5

 奈良市指定文化財「嶋田神社本殿」

 「青井神社(くさ神さん)」から「帯解寺」は直ぐですが、東へ行き「国道169号」と、次ぎの「バス通り」を渡って、更に東へ行くと、奈良市藤原町で、「山の辺の道」に面してコンクリートの鳥居が建ち、「白山比盗_社」が鎮座し、右(西)へ曲がると直ぐ「嶋田神社」が鎮座しています。本殿一棟は春日大社の記録によると、1727年(享保12年)第45次式年遷宮による造営の時、春日大社本殿の第二殿で、経津主命を祀っていた旧本殿を八嶋村へ譲り渡したとあるのがこの建物です。しかし、疑宝珠の銘は更に古く記されていますが、いずれにしても移築時の形状を残し価値の高い建物で、文化財に指定されています。

 崇道(すどう)天皇八嶋稜

 「嶋田神社」の直ぐ西に、奈良朝の最後で第49代光仁天皇の第2皇子早良親王(さわらしんのう)の墓「崇道天皇八嶋稜」が在ります。早良親王は、「ならまち」のはずれ南東にある「崇道天皇社」に祀られていますが、785年(延暦4年)藤原種継暗殺事件に連座し、皇太子を剥奪され、長岡京の乙訓寺へ幽閉の後10日余り断食し、淡路へ流罪が決まって流される途中、恨みを飲んで淀川の辺りで餓死しましたけど、死にのぞんで9つの石を投げ、石の落ちた所に葬って欲しい遺言したら、9つのうち8つの石が八嶋の地で見つかったので、800年(延暦19年)崇道天皇と追号し、ここ「崇道天皇八嶋稜」に葬られています。

 円照寺への参道

 「崇道天皇八嶋稜」から南へ進んで、突き当たった所で左へ曲がり、真っ直ぐ東へ向かうと「円照寺」へ行けます。写真は途中の参道ですが、山門の近くに、女帝で奈良朝2代目、第44代元正天皇と、天武天皇第5皇子で日本書記を編纂主宰した舎人親王の立派な万葉歌碑2基が、平成10年12月に建られました。

 あしひきの 山ゆきしかば やま人のわれに得しめし
 山つとぞこれ   万葉集巻20−4293

 あしひきの 山に行きけむ山人(やまびと)の
 心もしらず 山人や誰  万葉集巻20−4294




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