伊勢本街道「御杖村」  その4
 七不思議、其の三「倭姫の手洗井戸」?

 なお、ぽつんと1つ、「月見石」が置かれている所から「伊勢本街道」を更に東へ行くと、街道の右側に建てられている平板に「倭姫の手洗井戸」と書かれていますが、いくら探しても、そこら近辺には「井戸」らしきものが1つも見当たりません。近くには民家もちらほらとありますが、おおらかな生活道路の風情を見せる街道筋には人っ子一人歩いていないので、遠くの畑で野良仕事をしておられるご当地のお百姓さんに聞いたら、「あぁ、あれか、もう土に埋まってもうてあれへん」とのことで、看板に偽りありでした。それにしても、これぞ「敷津の七不思議」で、遺跡ならば「倭姫の手洗井戸跡」と書くべきでないでしょうか。
 七不思議、其の四、注連縄のない「夫婦岩」

 更に「伊勢本街道」を東へ行くと、また、本街道の直ぐ右脇に「夫婦岩」の看板があって、今度は本当に大小2つの「夫婦岩」が置かれています。土を除けて現しておいても恋しがって、何時の間にか元の通りに沈み、他の所に運んでも必ず戻り、若し離すと泣くと云われています。なお、「夫婦岩」なら、伊勢「二見浦」の沖合700mの海中に鎮まり猿田彦大神縁りの霊石「興玉神石」が有名ですが、こちらの「夫婦岩」も引き離されたくなかったら、注連縄でも渡して結び付けておいたら好いと思います。また、この地区は、色津、色豆、式津、敷津と4つの書き方があるそうですが、その謂れは聞かなかったので、分かりません。
 七不思議、其の五「弘法の井戸」

 「夫婦岩」から更に「伊勢本街道」を東へ行くと、また、街道の右側に「弘法の井戸」とありますけど、「井戸」は、ちょっと奥まった民家の石垣の下です。その昔、平安時代、弘法大師空海さんが、旅の途中でこの辺りに立ち寄られた時、ご当地の農民が泥水を晒(さら)して飲み水にしていたので、気の毒に思われたお大師さんが錫杖(しゃくじょう)でこの地を掘ると、良水が滾々(こんこん)と湧き出したそうです。なお、この井戸は、どんなに日照りが続こうとも水が枯れることがなく、どんなに長雨や豪雨があろうとも濁ることがなく、今でも水が溜まっていますが、今は誰もこの「弘法の井戸」の水を汲んで飲まれません。




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