奈良公園  その3

 「浅茅ケ原」の「円窓亭」

 「鷺池(さぎいけ)」の北側の土手を上がると奈良公園内の「浅茅ケ原」で、写真の「円窓亭」が在り、春日大社の経庫を改造した丸窓亭(鎌倉時代)を巡る付近一帯は、梅樹が多く俗に「丸窓の梅林」、または地名に因み「片岡の梅林」と呼ばれ、奈良公園早春の装いはまずこの辺りの清楚な梅花の香で始まります。また、「浅茅ケ原(あさちがはら)」の北側を通る春日大社の表参道に出ると、北に平等院の鳳凰堂を模して造られた国重文の「奈良国立博物館仏教美術資料研究センター」が建っています。明治35年に建てられ、幾何学的な文様を施した窓に白壁が映え、奈良公園の松の緑と良く調和していますが、公開されてません。
 片岡梅林の梅

 梅林と云っても奈良公園に、余り梅の木は在りませんが、それでも写真の奧に見える「丸窓亭」の辺りに紅梅、白梅が春のお彼岸前に咲き揃います。梅はバラ科の落葉喬木(らくようきょうぼく)で日本に元から在った様に思われますが、日本には自生の物は無く、中央アジアが原産で、奈良時代に中国から渡来した様です。その訳は、奈良時代初期に書かれた「古事記」に梅に関する事が書かれていませんが、奈良時代中頃に書かれた「万葉集」に中納言安倍広庭卿の歌が有り

 去年の春 いこじて植えし我が宿の
  若木の梅は 花咲きにけり  巻8−1423
 「飛火野」の「雪消澤之古蹟」

 梅林の「浅茅ケ原」から東側のバス道路を横切ると広々とした芝生の「飛火野」に出ますが、バス道路に面して写真の様な池が有り、ちょっと見には水たまりみたいですが由緒ある池で、バス道路に向かって池の真ん中に「雪消澤(ゆきげノさわ)」の石柱が立っています。平安時代に、崇徳天皇が院になられてから、「風雅集巻1」にて、次の様な歌を詠まれています。

 春来れば 雪消澤に袖たれて
   まだうらわき若葉をぞつむ

なお、この池では夏に鹿がよく水浴びをしています。
 「飛火野」で遊ぶ「神鹿」

 国の天然記念物、「春日大社」の「神鹿」は、現在1200頭ぐらい居ます。秋に盛りが付いて気の荒くなった雄鹿の角は、10月の日曜と祝日に「鹿苑」で切られ、「鹿の角切り」の見物は有料で、「鹿苑」に在る「鹿の資料展示室」の見学は無料です。また、冬場に餌の無い、1月第3日曜日〜3月20日(祝)の毎朝10:00に行われる「鹿寄せ」は、春日大社表参道南側の「飛火野」で吹かれるナチュラルホルンによるベートーヴェンの「田園」の一節に誘われ、朝靄を突き群れ飛んで来る数十頭の鹿に圧倒されます。なお、別に「鹿寄せ」を頼むと、要予約制で、「奈良の鹿愛護会(TEL 0742−22−2388)」1回2万円です。
 「飛火野」の巨樹「楠(くすのき)」

 明治41年10月10日(土)奈良県下において、陸軍の大演習が行われ、明治天皇が「浅茅ケ原」で饗宴をされた後、飛火野で休憩をされた玉座の跡(石碑在り)に植えられた「楠」は、現在、辺りを払う様に枝を広げ、遠くから見ると1本に見えるが3本1組の大樹で、樹齢86年でも幹周り4.5m+3.8m+2.9m、樹高20mです。また、飛火野はその広さが11haで、終戦前の昭和19年4月〜20年8月まで、奈良航空隊教育隊の陸軍少年飛行兵(第16、17期生)達が飛行機の整備訓練、試運転などを行い「少年飛行兵夢之跡」で、また、戦後は芋畑でした。なお、写真の正面手前に見える山が「御蓋山」です。
 春日大社神苑(TEL 0742-22-7788)

 「飛火野」の北に面して東西に延びる春日大社の表参道を東へ行くと、春日大社神苑(万葉植物園)で、入園料大人525円、9:00〜16:30、月曜が休苑です。約1万平方メートルの苑内に約300種の万葉植物を栽培し、5月上旬は20品種約200本のが咲き、7月は二千年の眠りから覚めた大賀蓮が咲き、8月お盆の頃は辺りの緑の中に鮮やかなオレンジ色の檜扇(ひおうぎ)の花が咲き、その実は万葉集で「黒髪」などに掛かる枕詞の烏羽玉(うばたま)で、苑内は何時行かれても何らかの万葉の花々が咲いていて、毎年5月5日と11月3日の祝日は、池に張り出した舞台で、南都楽所による舞楽七曲が催されます。




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