奈良町  その11

 奈良町物語館(TEL 0742-26-3476)

 「奈良町資料館」の出口から出て、もう一度入口の方へ廻って、そのまま東へ進むと直ぐ右(南)側に、奈良町散策図見学ポイント10「奈良町物語館」があります。入場は無料で、10:00〜16:30、お休みは正月とお盆です。ここはまちづくりに携わる人々が集い、交流し、町を楽しくする情報発信基地として、伝統的な町家を修復し、平成7年4月オープンされ、ギャラリーやセミナー等にも利用出来、写真にも映っている様に、時々「木工展」等が開かれ、作品の展示即売もやっています。なお、この辺りを「中新屋町」と云い、一刀彫の奈良人形を工芸品にまで高めた森川杜園(もりかわとえん)」が住んでいました。
 今昔工芸美術館(TEL 0742-22-551)

 「奈良町物語館」からちょっと東へ進むと、左側に奈良町散策図見学ポイント11「今昔工芸美術館」が在ります。入館無料で、10:00〜16:00、お休みは毎週月曜と、12/29〜1/1、1/6〜 1/13、8/16〜8/31です。ここも、写真の様に格子とむしこ窓と云うならまちの町家の典型的な外観をなし、江戸時代から明治時代にかけての商家の看板約800枚を保存しておられるので、その一部を展示する全国でも珍しい看板の資料館です。その他に故入江泰吉氏の撮された奈良の風景や仏像等の写真を使って作られた観光用ポスター等も展示しています。なお、「今昔工芸美術館」の北裏が「元興寺」です。

 史蹟「元興寺塔阯」への門2つ

 「今昔工芸美術館」からもう一度西へ少し戻って、南北に通る「上街道(上ツ道)」を南下すると左側に石柱が建ち、ちょっと奥の2つの門を入ると、「元興寺塔阯」です。元興寺は飛鳥四大寺の1つ「法興寺」が平城京に移って、名を改め、昔は南北4町、東西2町の境内に金堂、講堂、鐘堂等が建ち並ぶ大伽藍を誇り、壮大な寺院でしたが、1451年(宝徳3年)徳政一揆でほとんどの建物を焼かれ、極楽坊、観音堂、五重塔、吉祥堂、南大門だけが残り、焼け跡に町家が建ち並び更に、1859年(安政6年)2月28日に毘沙門町からの出火で総高73m、奈良で最古の五重塔、観音堂を失い、今は極楽坊だけが残っています。
 史蹟「元興寺塔阯」の礎石

 江戸時代まで威容を誇った五重塔の跡に、今は土壇の上に整然と17個の礎石のみが並んでいるが、その昔は学問寺で、数々の名僧を生み、三論、法相の本拠地とし南都仏教をリードし、南都七大寺の1つに数えられた「元興寺」も、飛鳥で蘇我氏の氏寺だった為、藤原氏のバックアップが得られず、平安時代ついに衰退を余儀なくされたけど、10世紀中頃、奈良時代の高僧智光(ちこう)が描かせた「智光曼陀羅」が発見され、これを契機に僧坊の一部が浄土教の念仏道場となって、また、13世紀中頃には浄土教を中心に地蔵信仰、聖徳太子信仰、弘法大師信仰等も入り混じった庶民信仰の寺として確立され、現在に至っています。




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