奈良町  その12


 御霊神社(TEL 0742-23-5609)の鳥居

 「史蹟元興寺塔阯」の門を出て、上ツ道を南下した角に在るのが「御霊神社」です。薬師堂町の真ん中に位置し、写真の様に朱色の鮮やかな鳥居を構え、社も形の美しい神社です。なお、入口左右の台座にお座りしている狛犬の前足に結ばれている紙縒状の紙紐は、町内のお子さんが神隠しにあって、連れ去られ、行方不明にならない様にする為のお呪(まじな)いです。また、「御霊神社」は元々京都に本家が在り、その昔ドロドロとして魑魅魍魎が跋扈した奈良時代末期から平安時代初期の頃、藤原百川、吉備真備らが相次いで亡くなり、その原因が怨霊の祟りとされ、不遇の死をとげられ怨霊となった方々を祀ったのが始まりです。
 御霊神社の本殿

 写真は「御霊神社」の本殿ですが、ご祭神は1人でなく、本殿に井上皇后と息子の他戸皇太子、事代主命 (通称えびす様)。東神殿に早良親王と藤原大夫人、藤原廣嗣。西神殿に文室宮田麻、伊豫親王、橘逸勢が祀られています。えびす様を除くと、総勢8神が祀られているので、八所御霊神と云い、京都の本社を始め各地に祀られていますが、昔は疫病が流行ると、奈良では上街道、中街道、下街道にそれぞれ神輿を据え、疫病神が町内に入り込んで来るのを防いだそうです。また、本殿の右横に巨石が建っており、怨霊とは余り関係がない恵比須大黒像が彫られています。その他、境内に秀吉創立の「出世稲荷神社」も座しています。

 金躰寺(こんたいじ)

 「御霊神社」前の東西に延びる道を、ちょっと東へ行くと、右(南)側に「金躰寺」が在り、1637年 (寛永14年)に再興された本堂は、寄せ棟造り・本瓦葺きで、奈良県指定の文化財です。本堂にはご本尊阿弥陀如来立像を始め、等身大の釈迦如来立像、善導大師・法然上人の両祖師像などが安置されています。開基は元興寺の道昭法師と伝えられていますが、詳しい事は不明です。また、この辺りを奈良市薬師堂町と云いますが、その昔この町の四ツ辻の南西に薬師如来像を安置した薬師堂が在ったので、その様に呼ばれています。なお、その薬師如来像は現在、東の鳴川町に建っている「徳融寺」にて大切に保存されています。
 融通念仏宗「法徳寺」

 「金躰寺」と道を挟んだ北向いが「法徳寺」です。元は、元興寺の別院でその頃「多聞院」と称せられ、1605年(慶長10年)に陪厳(ばいがん)上人が融通念仏宗の寺院として再興されたと云われ、現在のご住職も培厳の姓を継いでおられます。境内は狭いが堂々とした建物を持つお寺で、本堂、観音堂、毘沙門堂などから成り、本堂内の中央にご本尊の阿弥陀如来立像と、箱入り十一尊天得如来画像を祀っています。なお、「毘沙門堂」は境内の外に在り、道に面して西隣に建っています。ちょっと見ると「法徳寺」と別のお堂の様に見えますが、法徳寺が管理され、ご本尊の毘沙門天立像は、元興寺伽藍の鬼門除けの天皇です。




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