奈良南西部 西の京  その9

西大寺(TEL 0742-45-4700)の南門

 近鉄の京都線と橿原線および奈良線の交差した所が大和西大寺駅で、南口から西側の踏切の方へ歩いて、交番の角を曲がり南へ真っ直ぐ行くと駅から約5分で「西大寺の東門」です。そこを更に進み角を曲がった所が写真の「南門」です。西大寺は奈良朝6代目で、何かが大きかったと云われる弓削の道鏡を寵愛された女帝の第48代称徳天皇(なお、重祚の前は第46代孝謙天皇)発願で765年(天平神護元年)創建し、往時は東大寺に比肩する程の大寺で南都七大寺の1つでしたが、平安時代に再三火災で諸堂が殆ど焼失し、鎌倉時代に再興された後、また兵火で焼失し、その後江戸時代に再々建がなされ、現在に至っております。
真言律宗総本山「西大寺の金堂」

 西大寺は、創建時より少し規模が小さくなったとは云え、それでも往時の面影が有り、1752年(宝暦2年)に建立された「金堂」は、土壁を用いない周囲総板壁の珍しい造りで、堂内に国重文のご本尊「木造釈迦如来坐像」が安置されていますが、これは西大寺中興の祖で、戒律の復興をめざした律宗の名僧・叡尊(えいそん)さんの発願で、京都市は嵯峨の清涼寺の国宝でご本尊の「清涼寺式釈迦如来像」を模刻したと云われています。また、国重文の脇侍像と、木造騎獅文殊(きしもんじゅ)菩薩は、胎内から数多くの経典等が見つかって、銘文から叡尊さんの十三回忌である1302年(正安4年)作である事が判っています。
西大寺の「五重の東塔跡基壇」

 西大寺は創建当時、南大門をくぐると左右に高さが15丈(約45m)の東西両五重塔が建ち、その他に十一面堂院、四王堂も建ち、中央正面には中門、その両側に廻廊が連なって中に薬師金堂、更にその奧には寺院の中心をなす弥勒金堂を配置した金堂院を設け、廻廊の周りには鐘楼、食堂院、小塔院、政所院、正倉院なども配置されて、全部で百十数棟の塔堂を有する大伽藍を誇っていましたが、1502年(文亀2年)の兵火などによって殆どの塔堂を焼失し、江戸時代に諸堂の再建が有りましたが、東西に在った両五重塔は今もって再建されず、現在「金堂」の前に写真の様な五重塔のうち東塔跡の巨大な基壇が残されています。




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