佐保、佐紀路辺り その4

 浄土宗「西福寺」

 知恵の文殊にあずかる般若寺の「文殊会式」は毎年4月25日です。花の寺「般若寺」を後にして、北へ歩くと、水道局奈良阪配水池の門横に「北向き地蔵」があって、道の東側に2階建て瓦葺きの「錦湯」もあり、「ゆ」の暖簾が掛かってないと風呂屋と気が付きません。入浴料310円で月曜休み。また、北へ歩くと浄土宗総本山知恩院の末寺、迎接山「西福寺」で、本尊は重文の「阿弥陀如来」、その他重要文化財の仏6体を安置し、薬師堂では毎月8日薬師如来の縁日に「写経の功徳を頂く」があり、また、「花まつり」降誕会は毎年4月8日午後1時から行われます。なお、又同寺は奈良教区教化団第一組支部吉水講支部です。
 奈良豆比古神社(TEL 0742-23-1025)

 西福寺から北へ数軒行った所に式内社「奈良豆比古(ならつひこ)神社」が在り、土地の人が「奈良阪の明神さん」と敬愛している古社で、今から1200年前、奈良朝最後7代目、第49代光仁天皇の父・田原太子が病気療養のため、大木繁る那羅山(ならやま)にある一社中に隠居せられる・・とある一社で、毎年10月8日「夜宵宮祭」で、翁講によって奉納される無形文化財の翁舞(おきなまい)が有ります。なお、田原太子は天武(天智の弟)系で占められた奈良朝末期、女帝第48代称徳天皇に子がなかったので、天智(天武の兄)系の光仁天皇が即位した時に、その父として甦(よみがえ)り、彼は天智天皇の第7子です。
 県無民の「翁舞」が舞われる「拝殿」

 田原太子は、若い時に施基(しき、志貴)皇子と呼ばれ、万葉集に志貴皇子の詠った次の歌が有ります。

 むささびは 梢(こぬれ)求むとあしひきの
 山の猟夫(さつお)に 会ひにけるかも 巻3-267

また、田原太子の第2皇子が春日王で、春日王の子が浄人(きよひと)皇子、散楽(さんがく)俳優を好み父の春日王が病になった時、その平癒を祈願し、舞を春日明神に奉納したのが「翁舞」の起源で、その舞は翁と脇の3人舞や互いに対面せずに舞う三番叟と千歳の問答等著しい特徴を持ち芸能史で貴重な存在です。




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