佐保、佐紀路辺り その5

 奈良豆比古神社の三神殿

 なお、散楽は後の猿楽(さるがく)や能の源流で、明治維新頃迄、歌舞音曲の役者は当社に詣でて興行許可を得なければ興行が出来ず。なお、当社所有のお面は、翁、黒色尉、尉、中将、平太、怪士、般若、曲見等の能面と、祖父、武悪、狐、うそぶき、乙等の狂言面で、総計25面を奈良国立博物館が保管し、「べしみ面」に、応永廿年(1413年)2月21日の刻銘が有ります。また、本殿は20年毎の造営が戦時中も欠かす事なく行われ、中央が平城津比古神{ならつひこノかみ、産土神(うぶすながみ)}、左が田原天皇と諡(おくりな)をされた志貴皇子(天智天皇の第七皇子)で、右に皇子の子の春日王を祀っています。
 奈良豆比古神社の樟(くす)の巨樹

 「奈良豆比古神社」の例祭は、毎年10月9日で、中世以来受け継がれた「形(かたち)相撲」が行われます。また、境内の裏に天然記念物で樹齢が千余年の樟の巨樹が植わり、それはびっくりする様な巨樹で、目通り幹回り約8m、樹高約30mで、古色蒼然たる樹相で辺りを払っています。なお、巨樹の横に見える石段の横から路地を抜け、角を曲がり「歴史の道」を西に向かって途中、大きな木がある二股を右に下ると奈良朝を開いた女帝、第43代元明天皇と、その娘で第44代元正天皇の御陵へ行けますが、二股を左に行くと、史跡「黒髪山」、「黒髪山稲荷神社」で、そこからバス通りに下りて、北へ行ってもまた御陵です。
 奈良朝初代、女帝「元明天皇奈保山東陵」

 バス停「奈保山御陵」の東側へ200m入った所が「元明天皇奈保山東陵」で、全長255mの前方後円墳、盾形の広い二重周濠があります。なお、第43代元明(げんめい)天皇は第38代天智天皇の第4皇女(阿閉、あべ)で、母が姪娘(めいノいらつめ)、異腹の姉が第41代持統天皇、母と持統の母(遠智娘、おいのいらつめ)がともに蘇我倉山田石川麻呂(入鹿の従兄弟)の娘で、ともに天智天皇の妃。また、夫が天武と持統天皇の息子・草壁皇子で、長男の第42代文武天皇(軽皇子)が25歳の若さで崩御された後、707年(慶雲4年)即位し、710年(和銅3年)3月10日50歳で平城京へ遷都、奈良朝初代の女帝で、721年(養老5年)61歳で崩御されました。




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