佐保、佐紀路辺り その11

 法華寺の「から風呂」

 法華寺の東門を入って北東へ進むと「から風呂」が建っています。法華経を信仰した光明皇后が難病者の為に入浴の恵を与えた浴室で、屋外で湯を沸かして、蒸気を室内に取り入れる様になっており、ある時、皇后が、患者1000人の垢(あか)を流すべく誓いを立て、一生懸命汗を流していたら、1000人目は膿(うみ)を垂らした老人で、それを吸って呉れと云い、そこで皇后が嫌がりもせず、正に膿を吸おうとしたら、老人は阿?仏(あしゅくぶつ)になって光明を放ちました。なお、建物は室町時代末に改築されているが、唐破風を付けた内部の様式や敷瓦の遺構は昔のままで、部材も古い時代の物が使われています。
 法華寺の「横笛堂」

 法華寺の東門を入って右へ曲がったら、建礼門院の雑仕(ぞうし)の横笛が身を潜めていた「横笛堂」が建っています。横笛は、東大寺の大仏殿や、興福寺を焼き討ちにした平重衡(たいらのしげひら)の家来・斎藤滝口時頼との恋に破れ、ここで剃髪(ていはつ)をして尼になりましたが、本堂には、かって時頼から横笛に送られた手紙を使って張り合わせた横笛の紙子の像が安置されています。なお、時頼とは、彼が滝口の侍として宮中に出仕した時、横笛が恋に落ちましたが、彼の父の反対で仲を引き裂かれて後、1181年(養和元年)11月20日に18歳で出家した彼は、「滝口入道」と名を変えて「法輪寺」へ入りました。
 ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地)

 「法華寺」の北に三基の前方後円墳が在り、最も東にあるのが「ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地)」です。明治初年、英国から来日した大阪造幣局の技師ウィリアム・ゴーランドが実測し、その規模墳形等を報告しています。墳丘が三段築成で、全長255m、前方部の幅130m、後円部の径129mで、周囲に周濠を巡らし、墳丘斜面に大きな礫石が葺かれ、濠の外堤に五万数千個程の埴輪が2列に並んでいました。また、周辺に6基の陪塚も在ったが、終戦直後1基を残して全て取り崩され、その内1基から鉄器や石器等と共に鉄器の原材料「鉄てい」590枚が発掘され、朝鮮半島新羅、伽耶からの舶来品と見られています。




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