佐保、佐紀路辺り その12

 航空自衛隊幹部候補生学校

 「宇和奈辺古墳」と「小奈辺古墳」の間に挟まれて航空自衛隊奈良基地「航空自衛隊幹部候補生学校」があります。昭和32年3月山口県防府南基地からここ奈良基地に移転して来た同校は、日本の平和と繁栄に貢献すべき、国家安全保障を担う航空自衛隊の指揮官・幕僚になる為の幹部候補生の登竜門であり、必要な基礎的識能を教育する学校です。幹部候補生は、防衛大学校、防衛医科大学校、一般大学卒業者、航空学生(パイロット)課程終了者および部内選抜者等で構成されています。また、奈良基地は、奈良市内の北部、平城宮跡の北東、旧「法華寺」領内に在り、古代から天平への歴史を伝える多くの史跡に囲まれています。
 コナベ古墳(小奈辺陵墓参考地)

 実物の戦闘機が数機置かれた「奈良航空自衛隊幹部候補生学校」の西側に、先の「ウワナベ」と共に佐紀盾列古墳群の1つ「コナベ古墳」が在ります。これもゴーランドが精密な実測図を描き、母国に紹介して、墳丘は少し北へ寄った三段築成、全長204m、前方部幅129m、後円部径127m、墳丘のくびれ部の両側に張り出しを持ち、後円部中央に長さ2.5m、幅1.2mの切石の石棺が在って、濠の外堤には円筒埴輪を巡らしていた事が「廟陵記」に載っています。また、濠の外に南西から北東にかけて、7基の陪塚が今も並んでいます。なお、ウワナベは、ウワナリ(後妻)が、コナベはコナミ(前妻)が訛ったものです。
 磐之媛命平城坂上陵

 「コナベ古墳」の西隣が面積15haの水上(みなかみ)池で、その北にある佐紀盾列古墳群の前方後円墳が第16代仁徳天皇の皇后磐之媛命(いわのひめノみこと)の「平城坂上陵(ならさかノへノりょう)」です。日本書紀に「仁徳35年6月皇后磐之媛命、筒井宮で死去、37年11月皇后を乃羅山に葬り祀る」と有り、全長219m、前方部幅145m、後円部径130m、前方部南側だけ二重濠が巡り、濠の外堤から埴輪が出土し、7基の陪臣塚を従え、葛城山の麓で生まれた磐之媛の祖父は孝元天皇の曽孫の武内宿祢、父は葛城長江曽都昆古(そつひこ)と云い、4世紀末朝鮮の「百済記」にその名が見える実在の人物です。




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